2015.9.4
町田康の「常識の路上」読了。
ひとつひとつの物事の読みが一層も二層も深い。特に堕落への道のりの章が面白かった。他の章での人同士の交流についての記述。「欠けを欠くということは欠くべからざる全体をも同時に欠くという残念な結果をもたらす」という一文に胸を突かれる。
夕方までただ転がっていたのだけれども、あまり快復に向かっている感じがしないので、起きて掃除と洗濯。夕方作って食べたら少し回復。
いつもその時の制作の最終地点で、技術と精神状態と体力が集結した一点になって、他次元があるにせよひとつの頂点に達する。しかし期日と体力によってそれから先を続けたことがなかった。一度降りてしまえば、また登山道の入口からだ。そして同じ登山はつまらないので、他の登山に切り替える。
そのようなことの繰り返しであった。けれども、自分が頂点だと思っていたところが、本当の始点であるような気配を以前から制作が終る度に感じていた。色々極まっているし、この際やってみようという気に。多少痛みが増えたところで、どうということはない。
眼前でおろちが網戸を食い破って脱出を試みているが、もはやどうでもよい。既に網戸は大幅に破れているし、ここで一喝しても無駄なことは経験で知っている。私にも少しばかりではあるが、経験知はあるのだ。
町田康が本中で書いていたルー・リードを聴きながら読書しつつ今日はもう就寝に向かう。