Monthly Archives: 12月 2015

2015.12.23

絶不調の一週間であった。
風邪と腹痛により寝込む。自律神経をやられ、頭痛による不眠。加えてここ数日の寒さで猫どもが暖を取る目的で私の上で寝るため肩凝りと腰痛。ホットカーペットをつけて猫を誘導するも、発熱している私の方が暖になると踏んだようで、全くそちらで寝てくれない。冬至だというのに連日蚊に刺されてさらに眠れず。蚊を見つけて叩いた後に、不意に罪悪感。今更血一滴が何だというのだ。こういう風に心身共に不健康であった。

3日目にこれは長引くとまずいと思い、まずは自律神経を整えるため、不眠のまま朝歩いて近くのカフェに。一日中何かと身体を動かし、2時間風呂。ようやく自律神経が整って頭痛や肩凝りは軽減。テレビはより頭痛が酷くなるので、音楽のみに。
気づけばクリスマスシーズン。私はクリスマスに関心が薄い。特別な事をする気に全くならない。何故か。他人の誕生日であるからだと思い当たる。あ、誕生日なの?へーおめでとう。という事に過ぎない。

師走は好きだ。今年を締めて、新年へ向かう。明日はクリスマス。大掃除しよう。チキンやケーキより韓国料理とかベトナム料理とか食べたい。生春巻きとかいいね。チリソースとかね。

バカバカしい思考になってきたので日記を終わる。

2015.12.11

まずお知らせとして前回の日記の続きを。危うかったけれども、結局友人宅まではたどり着きました。

深夜から早朝まで大雨。朝出かけることにしていたのだけれども、布団の中で中止だな‥と思いながら惰眠。いきなり雨が止み、ふわあっと明るくなる。窓を開けると強引に湿気が入って来て、鏡やガラスが曇った。空を見上げると厚い雲がどんどん流れて空が明るく広がっている。こういう時は虹が出るので急いで支度をして外出。虹は見なかった。外出ついでに久しぶりに西新井大師へ。

妹から電話。働きながら家庭を持つ女性は何かと責められるようだ。私は基本的にグータラであるし1人と2匹の気ままな生活なので彼女の困難は聞いてあげるしか出来ないのだけれども、懸命に努力している人を責める理由はやはり責める側の問題でしかないよなと思う。私は努力至上主義ではないが、それでもまずは己の力で自分の目標を形にしようとしている人は見ていて清々しい。

しかし、最近の天気は変だ。ここ数年自分を安定させることが難しいのはその気候の不安定さもあるのではと思ったりする。私は元来情緒不安定気味であるし、そんな自分の感情にぶんぶんに振り回されやすいので、安定がテーマの1つでもある。

2015.12.3

ドイツから実家の大分へ。1年ぶりの墓掃除と墓参り。胸のつかえが取れた。何となくスッキリするので昔から墓掃除は好きだ。その後、慣れ親しんだ宇佐神宮へ参拝。空気が半端なく清涼であるため、ここも実家に帰ると必ず訪れる。

大分に3日間滞在。友人と会ったり大叔母に会ったり、実家の諸々の修理をしたり。毎日温泉に入る。市川春子の新刊を見つけて購入。この人の漫画は光と影の透明感がとても好きだ。

福岡で恩師と友人に会って色々タイムリーな話をしたり、奇跡的瞬間に立ち会ったりして福岡空港から発つ。飛行機が遅れて、今日中に帰宅出来ないことが判明。急遽友人宅に泊めてもらえないか連絡。しかし、今現在23時42分の段階で私はまだ成田からの高速バスの中にいるため、友人宅にすら行けない可能性が高い。そうなったら東京駅で一夜を過ごすことになる。いやだ。

という状況であるのだけれども、携帯の充電が危ういため日記もここで終わる。行方は次回へ続く。

2015.11.28

ドイツのニュルンベルクからの帰りの空港にて日記をつける。一週間分なので印象的な部分のみ抜粋。

13年ぶりにドイツに来たのだけれども、全く違和感が無い。言葉も思っていたより忘れてなかった。リラックスするのも早い。やはり生活をしていたという事は影響が大きい。

父の仕事のモーターメッセに着いて行って見学。技術とアイデアと熱意が結晶化した部品は、美しかった。真理と美は一体だと思う。曼荼羅とか幾何学とか数式とか経文とか。そういうものがあんなにも美しいのは、そこに真理があるからなんじゃないだろうかと、全く理解出来ない部品などを見ながら浅く考えていた。こういう普段全く関わらない分野は、思い込みが無く透明な眼差しで観るため、かえって参考になることがあるように思う。どんな分野にせよ、向かう一点は同じはずだからだ。そしてそれは、人間の幸福度の向上に他ならないと思う。

首切り役人の家Henkehousを探す。尋ねる度に、何であんなとこに行くんだ⁈と聞かれる。首切り場なら絶対行かないのだけれども、役人の家というところに興味があった。その人の生活を垣間見てみたかったのである。
まあ確かに、防寒で着膨れし、ドイツ人から見てかなり若く見えるであろうニヤニヤした顔つきの小柄な日本人の女が、一人で首切り役人の家を聞いていたら、不気味になるかバカなのかと心配になるかのどちらかであろう。しかしあんまり言われるのでさらに意気揚々と行ったが、休みであった。期待するとこうなることが多い。
新美術館。白黒のリヒターの作品がとてもいい。冴えていた。建築も素晴らしかった。ミュージアムショップもよい。この後3回行く。

世界人権宣言が29本の柱に刻まれた通り。天井があるような造りなのに、そこには敢えて何も無く空が広がっている。装飾が全く無いただのコンクリートの円柱にシンプルな文字だけが刻まれている。その潔さに、人権宣言に至るまでの膨大な時間と意思を感じた。今はもう立ち止まる人も少ないようだ。人権ということをもう一度考えなければならない時だと、ふと思った。

真面目風な旅の雰囲気を醸し出してしまったけれども、基本的には毎日ソーセージとビールで満腹になり一人でヘラヘラ街を歩いていただけである。今も羽田空港で炭酸水飲みつつおかきを食べながら日記を付けている。暇なのに人権のことなど、全く考えなかった。こういう風に人は平和ボケしてゆくのだな。実のところ、世界は全く平和ではないのだけれども。

東京は温い。耳が千切れるくらい寒かったドイツが既に懐かしい。何だか帰郷したような気分の旅であった。