2016.1.15

寒い。最低気温-2°とのこと。

今日はセンター試験らしい。私も20年前にインフルエンザで高熱の中受けた。前日に滋養の為と就寝前に高価な栄養ドリンクを3本飲んだのだけれども、逆に目が爛々としてしまい、何故と思い説明書を読むと一日に一本以上飲むなと書いてある。翌日不眠で試験に臨み、初日の一時間目の数2で残り30分というところで1ページ飛ばしてしまっていたのに気付くという失態。瞬間絶望したが、人間局面では意外と腹が括れるものである。

入試中に他校の受験生がトイレで亡くなったという知らせ。どうやら持病があったらしい。一瞬それがさざ波となって生徒の間を駆け抜けていったが、すぐにみな目の前の試験に目を向け、その話は二度と立ち上がらなかった。

私は真冬に大学の小さな遮断された空間で、穏やかだったであるはずがない孤独な果ての光景のビジョンが、頭にこびりついてしまった。以来、凍るような寒さを感じた時に、その光景を思い出す。冷たさという感覚の中に、そのビジョンは閉じ込められ、今も氷漬けされたように色褪せることなく私の中にある。

3日間のセンター試験は終わり、熱が下がらないままの私は保健室で採点。二度採点確認したが全く合わなかった。諦めて熱でぼんやりしながら、やはりあの光景を思い出していた。どうしようもなく不快で逃れたくて堪らない熱さと、どうしようもなく哀しい冷たい光景と。同情などの感情移入は全く無く、ただただその対比を見つめていた。

そういうわけで、センター試験は私にとって忘れ難い思い出だ。結果的に試験の惨敗と、何故か自信満々に、実技の人物クロッキーで全身を描かずに上半身肖像画を描いてしまうというあり得ぬミスにより、志望していた国立大は全て落ちた。

しかし、その後私は滑り止めの大学で人生を大きく転換させる人との出会いがあり、今東京に居て、こんな日記をつけていることになるのだから、人生って本当に摩訶不思議なものである。

東京に来て10年。そろそろ、また自分の環境や居場所について考え始めている。