2016.11.26
かなり久しぶりの日記である。
私は日記を完了するのにとても時間がかかる。下手すると2日間くらいかかってしまう時がある。最も言いたいことが、意外と結果的にくだらない内容になってしまったりしているので、削除したり簡潔にしたりすることが多い。という言い訳から始まる日記というのも無様であるけれども、まあよい。
夏以来の日記であるけれども、その間に色々なことがあった。その中でも最も大きな出来事といえば妹の出産である。偶然であるが私も出産の現場に。妹の出産はとても危ういものであった。私と妹の夫は深夜真っ暗で人気のないホールで、呆然としながらも緊密で集中した祈りを一瞬たりとも絶やさなかったように思う。そしてそういうことは、案外物事を左右しうる気がする。
先週福島でまた大きな地震。東京は震度3。大きく揺れ始めたら、私の上で寝ていた猫らが散り散りに逃走。やはり私に頼るつもりなど一切無いらしい。収まった後にさらりと戻ってきた。言い訳じみた何かしらの反応を期待したが、そんなものは無いという風に私の上で丸まる。猫に期待は禁物である。
友人が暫く我が家に滞在。彼女は今とても大きな岐路にいる。私は少し前に、その岐路を穏やかに丸く収めるべく彼女のとある場面に参加したのだけれども、今となっては穏やかに丸く収めるなどということは少しも重要ではなく、破壊的な中から本音に伴った活路を見出すべきであったと反省。器量以上のことはするべきでない。
一昨日福岡経由で大分へ。11月中は54年ぶりだという東京大雪の日。昨夜は近所の鷲神社に酉の市へ行き、甘酒を飲みながら冬だねと喋っていたものだけれども、この雪で極め付けに。
最近ひとつの答えが出る。
私が常々自分の長所だと思っていたものが、実は短所である場合があるということ。そしてその場合というのが、今は大部分であること。短所が長所になりうる可能性をここ1年ほど探っていたのだけれども、まさか逆とは思わなかった。
昨夜馴染みの温泉に。出たら座敷で羽生結弦のショートプログラムが始まるところで、予め待っていたらしいおばあさんと母と3人で見る。始終ポイントでおばあさんが「最高〜‼︎」と興奮していたり、拍手したり。演技終了後に拍手が湧いたが、私は演技そのものよりもブラウン管を通した羽生くんに、頰を上気させて喜ぶおばあさんの在り様と、羽生くんの存在価値に感動して拍手したのだった。
顔を綻ばせたままおばあさんは脚を引きずって浴室に消えた。その引き摺る音と頰の赤さが何となく余韻に残った。