2016.7.3

弟のひきこもりロードムービー映画「奴」の先行上映。多くのひきこもり当事者の人々が来場していた。

猛暑の中、日曜日の渋谷に来ることはきっと彼らにとっては気楽なことではないだろう。葛藤と決心と弱気な気持ちと希望の狭間を泳いで来るのだ。

帽子を深々と被り、マスクを着けて長袖を着込んで細く絞り出すような声で「当事者です」と言う小柄の女の人(ひきこもり当事者は観覧無料)。彼女はどんな物語を持っているのだろう。

打ち上げでひきこもり当事者の方々と。終電のため微々たる時間であったのだけれども、自分は発達障害だと言う人々のコミュニケーションは、私には何も違和感がなかった。

いつも思うのだが、人と接することが苦手だと言う人の多くが、会話や対応するということにとても繊細で真面目だと思う。彼らはじっと相手の話を聞こうとする。理解しようとする。私を含めて、そう出来る人は多くはない。人はだいたい他人の話を聞くより、自分の話をしたいものなのだ。

自分の過去の話をして、当事者の方々に擦り寄ろうとした私の想像力の欠如と不真面目さに、帰りの車中でうんざりする。同じような体験の有無を語るなど、何の意味もない。重要なことは、同情ではなく直観だと思う。