制作のみの日々。一度の食事と珈琲とレーズンチョコ。たまに朝コップ一杯のスープ。就寝前に長風呂。合間に猫。それだけの生活。
今日、完全に集中力が切れた。夕方まで珈琲しか飲んでなかったため、エネルギー不足かと思いご飯を食べたが集中力戻らず。こういう時は変に続けると迷宮入りするので諦めて近所にナイトショーを観に行く。
トム・ハンクスのブリッジ・オブ・スパイ。観客数人。友人に強烈に勧められたので観たのだけれども、とても面白かった。
自分の選択や信念に、自分の全てを賭ける事が出来る人はいるだろうが、他人の運命や物事の結果まで賭けられる人は、そういないと思う。全く躊躇せずにそれを当然のように行動する弁護士トム・ハンクス。不屈の男、トム・ハンクス。
他をも賭ける事が出来る信念を持つ人が、大きなことをするのかもしれない。
興奮しながら自転車を漕いだので暑くなり、アイスを買って食べる。私はこういうので簡単に上がる。すぐに影響を受ける。バカかもしれない。明日は不屈の精神で制作しようと決意して就寝。
※灯油は中身だけの販売で、灯油缶がないと売ってくれず、その灯油缶が何処にも売ってない為使用を断念。
毎日制作のみの生活。
昨日はkuuさんの茜染めへ。色々染める。しばらく誰とも会ってなかったので、ベラベラ喋る。こういう時はとにかく喋りたい様で、余分なことまで話しがちである。制作期間中は聞かれたら何でも喋ってしまいかねない。独り身はこういう時に困る。猫らはスキンシップ相手にはなるが、話し相手にはならない。
制作について。前回よりピンチの状況であるのだがメンタルの調子がよい。前回はキューッと点に向かう感じであったが、今回はポワンと放射している感じ。globeは2日が限界であった。坂本美雨や安藤裕子のカバーに変える。
近くのスーパーでゴミ袋を購入。ゴミ袋を透明のビニールに入れて、さらに手提げビニール袋に入れたおばちゃん。訳がわからない。
最近財布の中がピンチになり仕方なく、貯めていた500円玉と100円玉貯金瓶を開ける。(過去の日記でもこの貯金瓶は出てきたが、それは小瓶のことであり、私はまずこの小瓶に貯めてそれが一杯になったら貯金大瓶に移すという自由積み立て式貯金システムを使っている。なので大瓶を開けるとは、積み立て預金を解約するようなものである)無造作に貯めていたが、予想以上に貯まっていた。いくらあるかはっきりしないのもいい。使いやすいし、貯めやすい。これからも続けよう。
我が家は古い木造一軒家であるため、室内が外気温と同じである。エアコンは頭痛が起こるのでつけない。私は常時カイロを貼りまくっている。効能が切れたカイロは逆に冷たくなるという発見。
見兼ねた友人が先月アラジンストーブを貸してくれたのだけれども、近くにガソリンスタンドが無く灯油を買いに行くのが面倒でそのままになっていたが、なんと茜染めの帰りに最寄りのスーパーから2軒隣りの一見何屋か不明な「エネルギー」とだけ書いてある店のガラスに、灯油990円という貼り紙が!灯台下暗しとはこのことである。丁度今日明日は大寒波が来るという予報。猫らに快適な温かい生活を宣言し、100円玉を10枚瓶から出して大吉を引いたような気分で買いに行く。休みであった。
今日は満月。空の財布を満月に向けて振ると金運アップという説。どちらにせよ空に近いのだし夜になったらベランダで振ろう。必要以上に。
朝起きたら雪景色。やっと冬という感じ。寒いのでぼうっと出来ず、コーヒーを淹れて湯たんぽの湯を新たにして、早速制作に入る。
Apple musicでglobeを聴きながら制作。好きな音楽だとそちらに気を取られるし、全く頭に入らない音楽だと制作に疲れる。無意識に口ずさめて、どの曲もあまり違いも思い入れもないのが制作時には向いている。順調に制作は進んだ。
夕方休憩時、iPhoneでニュース見る。スマップの解散危機らしい。普段全く興味無いのに、行方が気になる。
映画「海街」が12冠受賞というニュース。私は11月ドイツに行った際、飛行機内でこれを観た。漫画が素晴らしいので全く期待はしていなかったのだけれども、やはりがっかりであった。
重要な箇所ほど残念だった。姉妹の出会い時に、すずが真夏の蝉のけたたましい鳴き声すら聞こえないくらい泣き叫ぶところから、あ四姉妹の物語は始まる。あの出来事は必須なのだ。映画ではしおらしく泣く場面になっていた。
私が漫画で最も好きな場面。一枚の桜の花びらが真っ黒いすずの髪の毛にふんわり白く引っ掛かるカットがあるのだけれども、それも夏の光景での爽やかな1シーンとなっていた。あれは風太の視線を通したから、あんなにも美しく印象的な場面なのだ。
何より映画には日常感が無かった。避暑地とか別荘地に短期間滞在しているような。同じく機内でミニオンズを観たが、これはとても面白かった。
雪は夕方には殆ど溶けていた。猫らは電気カーペットをつけた部屋から出て来ない。
今は夜中。雪が溶けて滴る音と、遠くで飛行機が飛んでいる音だけ。いつもに増して静かな夜。
目の前でおろちが膨れて喉を鳴らしている。
村上隆の五百羅漢見に行く。日本で最も世界で活躍する美術家は見ておくか、くらいであった。
圧倒された。作品の良し悪しや好き嫌いというようなことは全く問題ではなく、彼の徹底した姿勢がそこにはあった。素っ裸で真剣を手に真向かいで、「で、あんたは?」と問われる感じである。ここまでされたら無視出来ない。五百羅漢というモチーフ自体が、とてもあざとい。日本人は軽んじれないし、海外にはウケる。震災後というサブテーマを引っさげて、よくもこんなことをやれるもんだと呆れそうになるけれども、お金にならなきゃ意味が無いということを大前提としているのは最初からであるし、呆れる人などはなはから相手にしていない。今まで相手にしていなかった日本にも、震災をきっかけに目を向けて来た。キャラクター化することで、日本人にとって嫌味に写りやすい村上隆自身のイメージチェンジを何喰わぬ顔で仕掛けて来た。あざとすぎる。
村上隆の作品を批判するのは簡単だけれども、彼の姿勢や在り方を批判出来る人はそういまい。あのベクトルの強さは半端な人が批判出来るようなものではないし、ベクトルの向きなど美術の場合大した問題ではないと私は思う。村上隆が今何を考えていて、何をしようとしているのか、少しわかったような気がした。
その後フランク・ゲーリー建築展へ。これまた圧倒された。彼の粘り強さに。最初作った模型から完成まで、何十回も試作している。当然のように思われるだろうが、これは実物の模型を見なければその粘りはわからない。作りたいものは「人間的な建築」だそうだ。こちらも明解。
久しぶりに展示を見てかなり精神力を使ったため、へろへろで帰宅。
私は影響を受けやすい。複雑化して解釈する癖がある割には、影響は簡単に受ける。他人の生き方に感動している場合ではないと、威丈高にテレビを片付けることに。しかしいざ片付け始めると、あ、明日は毎週楽しみにしているオトナの!と、おそ松さんが‥‥そういう娯楽を排除するという禁欲的なことが果たしてよいのか‥‥などと、この後に及んでウジウジ考え始め、決意を固めるためにカードに頼るという、意思の弱さを露呈する結論に。2回ひいて、同じカードが出て片付けろと出たので、迷いは吹っ切れて片付ける。他人が見聞きしたら、さぞ馬鹿馬鹿しい光景であろう。
テレビ無き空間は、猫らがすぐに陣取った。うむ。以前より美的だなと納得。
疲労困憊なので長湯してすぐ就寝。
下弦の月がきれい。
前回の日記からかなり空いてしまった。今年の年末年始は帰省せずに猫らと過ごす。簡単に御節と雑煮を作って3日あたりまで食べる。我が家の雑煮は焼いたスルメと鰹節と昆布と干し椎茸と鶏肉で出汁をしこたま取り、大根、人参、牛蒡、蒲鉾を入れて味付けは基本的に塩のみという大分の宇佐地方独自の雑煮である。私はこの雑煮が大好物である。子供の頃から雑煮と数の子が、お年玉と同等ほどに楽しみであった。それを知っている母より数の子が届く。一気に御節のレベルが上がったような雰囲気に。
新年を迎え、秋からかかっていた靄が何となく晴れたような。印象的な初夢は見ず。
話は今日に飛ぶ。地元から来た友人と浅草でタイ料理を食す。
帰りの電車の中で私と同年代であろう男女。酔った風の女性がしきりに男性に甘えて誘っている模様。深夜の都心部から離れる静かな電車で、彼女の甘えた声が際立つ。下衆い興味本位で耳をそばだてて行く末を見る。男性が先に私と同じ駅で下車。閉まる扉から見えた彼女の目で、酔っていない事が分かった。多分男性にも分かっただろう。けれど一瞬彼女が放った強い思いには、気づかなかったような気がする。女には、たまにこういう風に言葉に出来ぬ念と祈りの中間のような思いを封じ込めて、その場の空気に乗せて相手に届けようとする時があると思う。それを上手く受けて中を開けて見る男性は、相性とかタイミングとかによって、多くはない気がする。
明日は友人の結婚式で、新月だ。両脇には猫らが私で暖をとっている。結果的に私も暖かい。こういう事が、私は好きだ。気持ち良さそうな猫を見て眠気が生じたため日記を終える。