Monthly Archives: 5月 2016

2016.5.26

今午前ちょうど3時である。

眠れない。

いや、正確に言うと眠っていたのだが蚊の襲撃に合い目が覚めてしまった。
私は眠りが浅い。尚且つ今は制作中で部屋に籠っているため運動不足である。精神的には疲れているのだけれども、身体があまり疲れていないので通常に輪をかけて眠りが浅い。

無理に眠ろうとすると、ろくでもないことをぐるぐる考えてしまいストレスが生まれてしまう。さりとて完全に起きてしまうのも億劫である。ぐるぐるし始めたので嫌だなあと思っていたら、最近日記の間隔がどんどん開いてしまっているという考えが浮かんだので、携帯で日記をつけることに。

と、つけている途中で雄猫スピカが排便。このまま過ごすことは、習慣上出来ない。起きて掃除。もはや完全に起きてしまった。

窓を開けていたのだけれども、入って来た湿り気のあるぬるい夜風に梅雨の気配を感じた。月は見えない。そういえば、満月後もまるで満月かのような輝きの月が続いていたな。我が家の猫らも野良猫らも、ずっとざわついている。何かが猛烈に変化しているような。

夏の思考は粘着性を帯びるが、うまくまとまらない。まさにそういう雰囲気になって来たので、日記を終える。
というところで、雨が降り始めた。やはり梅雨は近い。

2016.5.12

5月9日に着いたその足でBraunsweigへ。25歳の時以来。当時の小学校の先生や親しくしていた人らと再会。

30年ぶりに通っていたwaldorf schuleへ行った後、知人監督がBraunsweig在住のドキュメンタリー日本人監督を紹介してくれたので、会いに行く。アートと映画についての話。

ドイツでとても自然に日本人でいる様に見えた。何処に居ても、変わらなさそうな。実際どうであるかということよりも、そういう風に感じさせる人は好ましい。

20年間何となく釣針の様に引っかかっている未来的なビジョンがあり、それは私にとっては理想的なビジョンではなかったので真面目に向き合うつもりはなかったのだけれども、それでも何故かその引っかかった釣針を自分で取る気にはなれず、そのままにしていた。最近その釣針を刺激されることが多く、その監督男性と話した中でも刺激されることがあって、ああ、また来たな。と思いながら話していた。

ぶらぶらカーという予約制ヒッチハイクのようなものを教えてもらったので、ドイツ人男性の車でベルリンへ。グリーンエネルギー関係の仕事をしているとのことで、福島や原子力や風力発電の話。日本人の問題意識のことを聞かれる。無知が露呈。恥ずかしい。

深夜にベルリン着。やはりドイツは外国という気がしない。私の中に既に在る。部分的なことは見つけやすい。

2016.5.8

今日の夜ドイツに発つため、早朝起きて準備や掃除。植物が枯れませんように。アリよ去れ。

猫を友人宅に預けに行くので、ギリギリまで警戒されぬようにキャリーを昨日から出しておいた。外出の準備を始めた途端に猫らは散り散りに逃走。猫は察知能力が高い。が、雄猫スピカはいつも同じところに逃げるため、簡単に捕まる。つまり学習能力は低い。よって能力は相殺された。

無事友人宅に猫を預け、ドイツ行きについてカードをひいてもらう。小さなことが大きなことに繋がるかも。種蒔きのつもりでとのこと。昨日ひいた神託カードと、全く同じ内容。さいですか、心します。と友人に謝辞を言って後にする。

そのまま荷物を持ってテアトル新宿へ岩井俊二のリップヴァンヴィンクルの花嫁。透明感と映像の美しさは相変わらず。黒木華にはいまいち私はのりきれなかったが、まあ岩井俊二の映画にそういうおそらく同性ならではの、ある部分においての不協和音はつきものなので、別段違和感は無い。母親が裸になるシーンと、coccoが私、壊れてしまう。の一連の台詞が良かった。

羽田空港の展望デッキへ。とてもムーディー。強風。抱き合うカップル多し。震えながら牛乳寒天食べる。何故こんなに意地になってまでそこで食べているのか途中よくわからなくなったのだけれども、何となく終いまでそこで食べる。
さあ、第二の故郷ドイツへ。

2016.5.5

ここ数日体調が良くない。それによってやる気も出ない。何もせず、何も考えずひたすら猫と寝ていたい。私は元来怠け者であるので、たまにこういう本性が衝動的に出る。

最近私が作る料理が、全く何も美味しくない。好物で至極簡単でいつも作っているミルクゼリーすら美味しくなかった。本日入籍というめでたいカップルにその相応しくない話をする。味覚の方がおかしくなっているのではと。言われてみると、最近美味しく食べた記憶がない。なんでだろう。

3日後からドイツに行くので、色々調べたりメールしたり。縁あるドイツ。いつかドイツで仕事をしたい。
実家から送ってもらったミヒャエル・エンデのモモを20年ぶりくらいに読む。やはりエンデの文章は好きだ。リズミカルで色彩感がある。友人にもらった真っ赤な大粒の苺を食べながら読む。

今日は暑かった。電気ストーブを仕舞って、扇風機を出す。夏が間も無く来る気配。

今年は、どんな夏になるのだろう。

2016.5.2

大阪でイベントを終え、久しぶりにのんびりした気持ちで外出。ゆっくりと一人で読書する。

目の前ですぐに結果にはならなかったが、石井ゆかりの星占いを見てタイムリーなことが書いてあったし、尽力はしたので結果については必要以上に気にしないようにする。しかしその他は、考察して改善なり新たな選択なりをしなければならない。毎回何かしらそれはある。

私はよく言葉を間違える。は!と気付いた時にはもう遅い。一度発言した事は取り消せない。その瞬間を固めて封じ込めるだけの力が、言葉にはある。そして一度封じ込められた瞬間は、二度と手にして開けることは出来ない。幾度も反省するのだけれども、なかなかその頻度が減らない。

友人が書いた小説を読了。彼の小説はとても緊張する。毎回心身共に整えてから読みたい小説だ。ひとつ見逃してしまうと、もう間違えるような気持ちがする。気配のような表現の中にこそ、本当のことが在るような。そしてそれは、あるポイントに立たねば決してわからないような。