Monthly Archives: 7月 2016

2016.7.26

先週、結婚間近な友人宿泊。

今週、地元の友人宿泊。初めて日光へ。

相性の話。

一般的に言われる相性とは、大体が共感度の高さや価値観の一致等のことのように思う。それらは環境や育ちや経験による後天的な要素が多いし、私はそのことを相性と呼ぶことに、ピンとこない。

私が見て相性がいい関係とは、素敵な可能性が広がりうる関係のことだ。そしてそれは、概して全く違う性質の二人な場合がよくある。合うように思われない二人が出会って惹きつけ合って関わること自体が摩訶不思議で、その引力のようなものを、私は相性と感じる。「うまいこと」、違うのだ。その「うまさ」が相性の要だと思う。だから簡単にはわからない。ゆえに、「相性がいい人」はいないが、今相性がいいなあと思う時はたまにある。それはお互い自然に居ながらも相手への思いやりが絶えずある時に、ミラクルが起きるからだ。ミラクルは相性がいい時のサインだと、私は認識している。相手への思いやりが途切れて自分の思いが一人歩きを始めると、それは一気に無くなる。つまるところ、相性がいいというのは、「相手と調和する努力を常にお互いがすることが出来る相手」だと思う。

だから簡単に相性がいいだの悪いだのという話を聞くと、怠けてんなあとか、甘えてんなぁと思ってしまう。

話は今日の出来事へ。朝から北千住の人気パンケーキに並ぶ。そんな女子的な事もたまにはいいではないか。結果、一度でよいという感想。

代官山の美容室へ。整髪後に餃子が食べたくなり、中華店に入るも、餃子だけを注文する勇気が無く、ラーメンも頼んだのだけれども、先に来たあまり美味しくないラーメンを食べて満腹になってしまい、餃子を食べられなくなるという馬鹿げた事態に。ミラクルどころか。

夜、地震。足立区は震度3。

地震が起きると、私はいつも飼い猫らを呼ぶのだけれども、飼い猫どもは必ず急いで私の側から散っていく。飼主の私に頼る気が全く無い。それはちょっと信頼関係に問題があるのではと考え込んだが、自立心は良い事であるし、私の懐に逃げ込んだとしても私の鈍な行動で全滅するのがオチである。結局のところ逃げて生き延びてくれさえすればよいので、飼い猫らの判断に納得しつつ就寝。

2016.7.13

昨夜は蚊の襲来で眠れず。

早朝に猫らが空腹を訴えて来たため、仕方なく起床。新しく猫飯を変えたら、猫らの食欲が凄まじい。猫も毎日ずっと同じものというのも不自然であるし、感性が鈍くなりそうなのでたまには変えてやりたいが、こうも食に対してがめつくなるのも、如何なものか。

自分の所為で不毛な事態が起こってしまった場合、正当化しようとしたり取り繕おうとせずに、諦めて放置していると、うまく収まっていたりするという発見。ケースバイケースだろうが、こういう時は空回りが連鎖しやすいのでひとつの手段とするのは、よいかもしれない。

夜、前の職場で飲み会。

33歳のオシャレ男性が、最近髪が薄くなってきたから女性ホルモンを増やす為に豆乳や納豆をしこたま食べていたら、胸が出てきたとのこと。

笑ってしまった。これまた不毛な事態ではないか。

けれども、これは前述のケースに当てはまるか分からないし、異なった場合にかなり遺恨を残すと思われる。

というわけで、進言しなかった。

彼に胸でなく髪を与えてくれるよう願いつつ、深夜に帰宅して就寝。

2016.7.3

弟のひきこもりロードムービー映画「奴」の先行上映。多くのひきこもり当事者の人々が来場していた。

猛暑の中、日曜日の渋谷に来ることはきっと彼らにとっては気楽なことではないだろう。葛藤と決心と弱気な気持ちと希望の狭間を泳いで来るのだ。

帽子を深々と被り、マスクを着けて長袖を着込んで細く絞り出すような声で「当事者です」と言う小柄の女の人(ひきこもり当事者は観覧無料)。彼女はどんな物語を持っているのだろう。

打ち上げでひきこもり当事者の方々と。終電のため微々たる時間であったのだけれども、自分は発達障害だと言う人々のコミュニケーションは、私には何も違和感がなかった。

いつも思うのだが、人と接することが苦手だと言う人の多くが、会話や対応するということにとても繊細で真面目だと思う。彼らはじっと相手の話を聞こうとする。理解しようとする。私を含めて、そう出来る人は多くはない。人はだいたい他人の話を聞くより、自分の話をしたいものなのだ。

自分の過去の話をして、当事者の方々に擦り寄ろうとした私の想像力の欠如と不真面目さに、帰りの車中でうんざりする。同じような体験の有無を語るなど、何の意味もない。重要なことは、同情ではなく直観だと思う。