Monthly Archives: 12月 2016

2016.12.28

大分から帰って仕事が落ち着いたので友人らと会ったりダーニング(つい最近友人に教えてもらった靴下などの穴の補修)をしたり大掃除をしたり。

今年は風邪をひくこともなく健康であった。しかし先週はずっと外食が続いたため、胃腸の具合がよろしくない。私は基本的に粗食であるので、ご馳走に胃腸が慣れていない。消化活動は元来胃腸が弱めの私には負担が大きいのかもしれない。

クリスマスに友人宅で鍋。キリストにしか見えぬ風貌の友人が歌うクリスマスソングでプレゼント交換をする。私はピータンとカタツムリパックと別府の湯の花をプレゼントに。私は「読んでみたい文庫本」セットをもらった。「読んでよかった文庫本」セットでないことがいい。それくらいの遊びと適当さがよい。

 

過去もらった手紙の話になり、私が取っておかないことについてみんなが割とひいていて、そのことにびびる。その場で捨てたりはしないのだけれども、きちんと読んで短期間保管後に捨てる。3枚だけ残してあるが。私は手紙のやりとりをする方だと思う。自分の手紙はなるべくすぐに捨てて欲しい。残されると思うと、色々余計なことを考えてしまう。

つい数日前にも親から子供時分にもらった手紙の束が送られて来たので、全部丁寧に目を通した後に捨てた。

不思議なことに子供であった私は、手紙の便せんの柄だとかイラストだとか、多分気に入ったのであろう部分を全て切り取っている。文章よりも柄の方に興味を持ち、無遠慮に切り刻んでいる自分の感性を見て、ちょっと考え込んだ。しかも好きだった男の子からの手紙だけがない。気に入った切り抜きと好きな男の子からの手紙を私はどうしたのだろう。

昔引っ越しの際に小さな木箱が出て来て、その中にはゴミのようなものばかり入っていて、あろうことか毛髪まで入っていて、あまりの不気味さにこれは何だろうと暫く思索。突如思い出したのであるが、それらは高校時代に恋い焦がれていた人が「触れたもの」ボックスであった。自分のことであるにもかかわらず、薄ら寒い。

割と男女ともに交友関係が広く、明るめの学生生活を送っていたのだけれども、密やかに自分の一部分をタブーとして封印事のように扱かうことがあったことを思い出す。かわいらしい宝物箱などではなく古い木箱というところがさらに不気味であった。小学校3年生くらいの時も、虫や生き物の死体に出くわした日には学校に行かないというルールを設けていたこともある。子供時分というのは、きっと誰しもがこういうわけのわからぬような部分があったと思う。

お腹が空いたので日記を終える。

2016.12.13

師走に入り、ようやく冬らしくなってきた。

私の家は古い一軒家であるため、隙間風などがあり寒い。暖房も寝室にしかないので、居間に簡易的炬燵を作ってみた。ほほー、なかなか暖かいではないか。などと安堵に浸っていたのだけれども、問題が生じた。簡易的炬燵であるため、かなり狭い。私一人入れば満杯である。家には飼い猫が二匹居る。当然彼らも寒い。不満が募っていたところに炬燵という天国が出現。猫らも直ぐさま炬燵真っしぐらである。そして前述した通り、炬燵は私一人で満杯の状態。

自ずと24時間家に居る猫らに炬燵を占拠されてしまった。「ちょっと詰めてもらえませんかねー」などと言って炬燵を開ければ、シャーッと言われる始末である。私は結局凍えながら居間にいることに。何たることか。腹立たしくもあるが諦め、炬燵の電源を切り外出。

帰宅していつも迎えに出る猫らが全く出て来ないので炬燵を覗くと、二匹の飼い猫が身を寄せ合って私を光る目で睨みつけている。どうやら炬燵の電源を切った私に激怒している模様である。ええ〜と声を漏らす私を許す気配も無い。

以来、24時間炬燵の電源を入れているため、電気代だけが嵩むはめに。以前はあった、身を寄せ合って、寒いね、などというコミュニケーションも無くなり、猫どもは始終炬燵で過ごし私になど目もくれない。こうなると最早炬燵が憎い。が、炬燵をやめた時の猫どもの怒りの方がもっと怖い。

こうして、セーターを1枚買い、寒さに耐える日々である。今月は割とゆとりがあったはずだけれども、多分電気代とセーター代で相殺されるであろう。
そんな風にして、私の地味な生活も2016年の終わりに向かってゆく。

2017年も猫ともども、無事でありますように。