2017.3.27

今日は昨日に引き続き、とても寒い雨の日。

基本的に制作。合間にファッションショーの打ち合わせ、友人著作の本の装丁、デザインの仕事、餃子パーティー、高円寺のコアなスポット、友人の結婚式でカメラマン。最近仕事の方向性で具体的な目標が出来たので、その話を長時間友人に聞いてもらう。

私は絵を描く事を主軸として一応今やっとではあるが生計をたてていて、それは長年の私の目標であったし、とてもありがたく幸福なことなのであるのだけれども、昔からずっと拭いきれぬ違和感がある。長年それには色々な分析と理由づけをして心から追い払って来たが、それを無視しないと最近決めた。今は、やっと自分のやるべき方向性が具体化していくかもしれないという予感だけがある。自分自身が苦でない方法で世の中に貢献できる生き方をしたい。

先月のとても寒い夜、炬燵から尻だけ出すというわけのわからぬ状態の雄猫スピカを眺めていたら、ふと野良猫は急な寒さにやられてはいまいかと心配になり、直後借家ではあるが我が家は一軒家ではないかとはっと気付いた。早速縁側(この縁側という言葉が出てこず、ネットで「軒先で座る場所」などと検索してしまう)の下に布を敷き詰めた段ボールを用意し、その前に猫飯を置いた。翌日見てみると、寝床は不明だが猫飯を食べた形跡はあって、よしよしといいことをしたような気になっていた。

それから1週間ほど猫飯を入れる日が続いていたのだけれども、雄猫スピカが挙動不審である。何やら発情のような雰囲気でもある。もともと挙動不審がちな猫であるし、冬の終わりは毎年ほんのり発情しているのでさほど気にとめていなかった。

ある夜、外を見ることができるように一階の障子の一角を猫用に切り取っているところがあるのだけれども、そこでいつものようにスピカが外を眺めていたら、外で設置した猫飯を食べている猫の気配がする。これまたよしよしと思っていたら、目を疑うようなことが起こった。食べ終わったその猫が、あろうことかガラス越しのスピカの顔面にスプレー(雄猫特有の臭いおしっこ)を吹きかけたのである。私はもう衝撃的すぎてあんぐりと茫然自失であった。恩義を感じるどころか、なんという高慢な態度。なんでそんなことをするのだ。と見たら、白っぽいぶちのでっぷりと太った巨大な猫であった。

そうなのだ。このあたりの野良猫らは別に何にも困ってないのである。何処かに素敵で快適な場所を決めていて、私のところにはまあ「置いてあるし、どうせなら食べてくか。それなら印もつけておくとするか。」くらいのことだったのだろう。

外からかけられた所を見てみると、何度もスプレーされた形跡がある。我が家の猫を心底馬鹿にしている。こんな無礼な奴にもうやるもんかと猫飯を撤収したのは言うまでもない。段ボールは一応置いておいた。あの無礼巨猫は入れないし、他の痩せた猫には必要かもしれないからである。

慈善的なことをしたつもりになっていた私がしたことは、結果的に野良猫から私ごと飼猫を馬鹿にされただけであった。それによる発情的な風情のスピカの理屈もさっぱりわからないが、とりあえず猫らには悔い改める旨を伝えた。

自分の正義とか善だとかをまるで疑わない人を見ると心底私は恐怖するのだけれども、私も大して違わない。その一連のエピソードを友人に話したところ、「あゆちゃんて感じ」という言葉に小さく刺されつつ苦笑いでお茶をすすった。

最近ミスが色々多い。頭の中がとても分離的で断片的。ほどけていっているような感覚。致命的なミスまではいかないせいか、何故か不安による緊張感などは全くない。最近声占いというものを友人が教えてくれたので近々行こう。

今、近所のよくPCを持ち込んで仕事をしているカフェでこの日記をつけているのだけれども雨が止んだようなので帰る気になったので、終わることにする。