2017.5.17
Kさん逝去、今年もアリ発生、湯島のラム肉料理、プラスチックの焼けた臭いで110番、「時代のメモ」、文字の形の考察、満月、女会、優しい人。
ある曇りの昼間、自転車で西日暮里に向かいながら、私はひとつのことを考えていた。「自分がとても言いたいこと」と、「言わなくてはと思うこと」は、言わなくていいかもなということ。何だか早口言葉のような物言いだけれども。
自分が言わなければと決めて放った言葉ほど伝わらないことが、圧倒的に多い。言わなければと思う時点で自分が正当である前提であり、相手を承認・許容するつもりがない。それは「会話」にはならない。既に結論付けているからだ。私はこういう独りよがりなところが、すごくある。意識しているものの、言いたい欲にたまに負けてしまう。
逆に、「あなたのために言うんだけど」と前置きされて言われたことは、何一つ身になっていないし、「あなたは知っておいた方がいいから」と言われて知る必要があったこともあまり無い。
この話を友人にしたら、「そうだよ。返答だけだよ、必要なのは」と言われて、返答だけだとはまだ思えきれないものの、そうかもなあと思った。
軽快だけれど真面目に会話をする人、相手に沿いながらも率直な会話をする人、自分が発信したことに責任を持つ会話をする人、みな様々に素敵だ。さしづめ私は肯定的に言えば「曖昧だけれど親切な感じの会話をする人」というところか。
又吉さんの「劇場」読了。
切なく苦しい小説だった。若さゆえの。最近はこういう類のものを読むのがしんどくなってきた。話題になっていたので買った漫画「描クえもん」もしんどい。「海街diary」8巻と「逃げるは恥だが役に立たつ」最終巻はよかった。大きな波立ちとして描かずに、静かな波間に煌めいたものや暗いものをたゆたわせる感じが、すっといいリズムとタイミングで心地よく染みる。
そう、今は「染みる」のがいい。
今更ながら河瀬直美監督の「殯の森」を観た。これまた染みた。よかった。死を慈しむことの映画。近々新作公開される「光」も楽しみ。グザヴィエ・ドランの新作は見逃した。残念。
布団の上で寝転んで日記をつけている。目の前には読書灯とアリ対策のハッカ油と、横切るアリ一匹。足元には猫飯が足りない様子の飼い猫ら。
3時だ。眠い。おやすみなさい。