2018.12.20
K家の新猫と旧猫、ライブで側頭、競艇と仲人、やらだ版の活版絵本、石牟礼道子の能と美智子さま、ポーランド展示、ミュンヘンHilma af KlintとEmma Kunz、Hちゃんプロデュース会、保谷めだか、アブリルラビーン的新妻、モテ期T、辛酸なめ子さんと佐藤健寿トーク、白いラナンキュラス。
気づいたら師走。
ここに来て、色々な死の知らせが来る。とても美しい最後の顔。綺麗さや正しさより、美しさを選べているのだろうかと、不意に自己問答の穴に落ちた。圧倒的な美しさは時に人を呑み込んでしまう。死は問いと共にみぞおちにぶち込んでくるので、しんどい。けれども尊い。私が祈る必要などないくらいに。それでも祈らずにはいられない。それもきっと尊いことなんだろう。
先月ポーランドの図書館で展示とトークをする。幼馴染のポーランド人マジャーの献身的な協力のおかげで、とてもいい出会いの機会となった。日本人なのにあなたは明るいねと言われる。あまりの立派な講堂にびびって、気圧されぬよう大御所のような体勢でトークに臨んだのだけれども、それが功を奏したようだ。親切な人ばかりで本当にありがたい機会だった。これからもヨーロッパに縁を繋げていきたい。
私はよく考えすぎだとか、頭が硬いとか言われるので、意識的に思考を追及しないようにしていた1年間だった。それはとても楽だったし、曖昧なようでいて、物事の輪郭線のようなものを感じる時があった。とはいえ、未だ私は霧の中にいて、空気以上のものを微かに掴んでいるくらいの手ごたえしか無く、まだまだ道のりは遠いことを痛感する。
余談だが、私は両親が仕事でドイツに長期滞在していたため、それを利用させてもらったわけだけれども、父が鼾防止グッズを注文したので持って来てほしいと頼まれ持参した。
父がそわそわと開けたそれは腕時計のようなもので、私はその仕組みが気になり調べたところ、鼾をかくと音に反応して身体に電気が流れるという代物であった。それをつけて寝始めた父が鼾をかきはじめると急にピタリと止まる。私には拷問道具にしか見えないのだけれども、何故か父はこれをいたく気に入った。
以来付け忘れないようにと食事中からはめるようになり、たまに大声で笑ったりすると電気が流れているようで微かに身体が震えている父と、それに全く違和感を持っていない母が、私にはどうにも珍妙で見る度に声を枯らして笑っていた。どのあたりで二人が納得してるのか私には皆目わからなかったのだけれども、父の目的は鼾を止めることなので、安眠出来ずともたまに無為に電気が流れても、そんなことはいいらしい。それを共有している父と母を見て、夫婦というものが最も珍妙だと思った。
来年は2019年で平成最後の年だ。文字通り時代が変わる。リアルに生きたい。喋り過ぎもやめよう。受け取っているものを、返す度量がほしい。あとは猫の心身の健康。
みなさん、2018年は本当にお世話になりました。心から、ありがとう。ありがとう。