2020.12.26 東京離れ

東京を離れて2週間。飛行機が離陸した瞬間込み上げてきたものはあったけども、色々な処務に追われたり、考えたり決めなければならないことが山積みだったせいか、その後全く感情的にならずに何だかするりと意識から東京が抜けた。

28歳の時揉まれようと思って上京し、予想以上にぐりぐりに急所を揉まれ、激痛に泡吹いて白目剥いて現実逃避した後、段ボール被り指穴開けて覗くような段階を経るなどして、東京で心地よく居るのに結局10年程かかった。当初私は自分のことをまるで把握できておらず、自意識と自我とプライドだけがやたら高いたまにいる勘違い若人だった。

東京で過ごしていつの間にやら14年。何とか自分なりに心安らかに生きている。それは自分の努力や運や直感だけがもたらしたものではなく、私の周りにいてくれる人々の采配と厚意と直感を、ただひたすら感謝と共に受け取って来ただけだ。私は自分の思考より、信頼できる他者の私を見る目の方を、重視している。

40代という死が微かに感じられるようになった時機とコロナが合わさり、人生の限りを実感したことがきっかけとなり、私は自分の大部分を決定的に諦めた。自分の未熟さや無能さや歪みなどを何とかしよう試行錯誤、七転八倒した30代を経て、今。

結果どうにもならんかった。

ただ、自分可愛さが故に自己に没頭していただけだ。自分を大切にするとはそういうことではないと、40代になってようやく気づいた。自己の進化や成長のために生きるのをやめた。それはとても楽で面白く気持ちいいが、それを必死で成して私が今より多少マシな人間に成ったところで、それが一体何だというのだ。悩んで反省して求めているうちに、人生は終わる。

今の自分の力量と器でやっていこうと決めた。自己満足のために自分の器を大きくする努力より、自分という器をうまく使う知恵の方が重要だ。例えそれが大した器でなくとも、必ず役に立つ場面はある。40代になって、ようやくスタート地点に立ったような気分だ。

そんな決意がまたゼロから始めるスタート地点へと、私の背中をぐいぐい押していった。新しいことに興奮するような感じというより、ただ何だかやけに軽やかな心持ちだ。私が楽に生きるための移住であるからかもしれない。上京した時とは真逆の目的である。

年内は実家で過ごす予定で、猫らと実家の仏間に居るのだけれども、おろちは仏壇の上や天井の柱などを縦横無尽に駆け巡ってさらにスリムになり、スピカは飾ってある能面や訪れる野良猫への警戒心から暴飲暴食した果てに2週間で丸々と肥えた。

私はというとろくなことがない日々だが、新しいことの前にはこういう時期はあるものだと経験上知っているので、あーあと思いながら過ごしている。来年には上向きに変わってほしいもんである。