2020.5.10
自粛生活2ヶ月目に入った。3月末あたりから2週間くらい、浅草花やしきのジェットコースター程度の躁と鬱を経て、その落差に目が回り疲弊した後、これまたパグの迫力くらいの感情決壊によってパニック状態は終結し、今はナメクジのように静かにぬめぬめとゆっくり移動しつつ凪いでいる。
今のところの結論として言えば、私個人はとても充実した日々を過ごしている。以前よりも食生活に気を使っているし、毎日欠かさず筋トレをしているし、人に見せる予定が無いので全く好き勝手に描いているし、興味深い人々や組織が様々な配信や展開を見せてくれるし、失いつつあった甥っ子の私への関心もリモートワークショップ的なもので少し取り戻しつつあるし、時間があるから読みたかった本も読んでいるし、外出しないからお金も使わないし、収入が無いこと以外は何の問題もない。それすらも本当に問題と言えるのか、と今は考え始めている。
コロナへの恐怖心や不安が、ここに来て政府や利権や経済システムに対する抵抗や革命精神に移行している。あのような震災ですらも感傷的な出来事としてパッケージされてしまい変わらなかった日本が、みなそれぞれ個人的な切実さが加わったため、今変わりつつある。あの時解き放たれたのは悲しみで、今回解き放たれたのは怒りだ。私はこの世の重さは感情だと思っているので、個人的にはとても合点がいく。悲しみと怒りが昇華されれば、この世はかなり軽くなるんじゃないかと思う。そういう意味でも、世界はだいぶ変わるかもしれない。重力から解放されるとものごとは反転する。
しかしながら、私自身はポジティブハッピーパラダイスの楽観的な期待感覚ではない。境界線ギリギリの際にいる様な気がしている。期待するというのは、どこかで他人事な視点だ。だから私の場合心身はリラックスはしているのだけれども、常にアンテナを出している感じだ。ニュースになったUFOでも来ないかしらとアイスバーを食べながら猫らと毎晩ベランダから眺めているが、飛行機すら全く見えない。今は飛行機も飛んでいないんだな。と思い当たる。
たまたまツイッターを見ている時、坂口恭平さんが絵を希望者に送るよと電話番号と共に公開ツイートをしたので、反射的に電話をしたら「まじでかかってきた。ウケるw」と言われた。私が一番最初だったようだ。ドギマギしながらも、結局4日後に絵は届いた。
実のところ私はちょうど人の絵を見たいなあと強く思っていて、その時浮かんだのが横尾忠則さんと坂口恭平さんだったのだ。描いていて唐突にまだまだ自分にはポーズや構えが根強くあることに気づき、これはあかんと思い、そういうものが一欠片もない人の絵を見たいと思った。今見るべきは技術的な絵やプロの傑作などではなく、「生(なま)」だけの絵だと直感的に思ったのだ。
坂口さんの「仮想美術館」としての絵を受け取った人は30〜40人くらいだったようだ。自分の住所をDMで送り、着払いで届く。5月いっぱい味わって返却。気に入った人は交渉して購入可とのこと。そのアイデアとスピード感と信頼と自信に私は感動し、刺激になった。それを無断で自分のものにする人は一人も出ないと思う。未来の美術のあり方の片鱗を見たような気がした。そこには何の違和感もなく、明るい気配があった。
今七尾旅人さんの生配信を見ながらこの日記をつけている。猫どもが異常な食欲。夏毛になる準備が整ったようだ。私はまだしばらくはかかりそうだ。自分の見方だけに注意を払おうと思う。他人のことを考えている余裕も度量もない。思いついた時にできることをすればいいと思っている。今はどれだけ自分に集中できるか、が勝負だと感じる。あー、深刻風な物言いが我ながら鬱陶しくなってきたので、日記を終わる。みんなが健やかであるように。