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2020.8.9 死者と近しくなる

8月6日8時15分広島原爆投下。8月8日ライオンズゲート。8月9日、11時2分長崎原爆投下。黙祷。

夏はとても死者と近しくなる。私がいつもよりも死者に開いているせいかもしれない。この日記を書いているまさに今も、涙がこみ上げてきた。今また、誰かの残された思いが私を通り過ぎていった。8月に入ってお盆を過ぎるまでは、こうした時間次元に入るので、いつ泣くか分からない状態になる。悲しいとか苦しいといった感情の種類まではわからない。ただ、エネルギーとしての感情波のようなものが寄せて来る。私は普段殆ど泣かないため、情緒不安定だと思われるので、この時期は気をつけて人に会う。まあみんな夏は忙しいので、大方夏はひとりだ。

坂口恭平パステル画個展に行く。コロナ中から始めた彼の絵はどんどんリアルになっていき、今はもはや現実を超えた凄味が出ている。筒井康隆が、いい創作とは凄味が溢れているものだと言っていたっけ。常時全次元に全開な人だということが絵を見ればわかる。坂口恭平と内田也哉子(樹木希林の娘)がこれから物凄いことになっていく予感。自分の視点だけを鮮烈に持ち続け、そこから見えるものだけを信じて他者の視点を意に介さずに歩いてきた人たち。そういう人がきっとこれから台頭してゆく。私はもうブレにブレて来たタイプの人間なので、そういう人への憧れと注目度が強い。

絵を描いていると、その絵が「立ち上がってくる」時がある。それはそうとしか言えないもので、その直前までは全くその気配なく突然立ち上がる。だから「作品にはならないかも」と期待をしないところからのスタートになることが殆どだ。最初から「これは行けるかもしれない」というものほど、案外後にだめになる。その期待を頼りにしてしまうからだ。創作中、作者から作品が離れて独り立ちすることがあるとはよく聞く話だ。私の場合はなかなかそれまでに時間がかかる。つまり私が懇切に付き合ってやらなければならない。そして突然、四足歩行だったのが二足歩行になる。まさに「お、立った!」という感じ。手間がかかる子のようだ。今これを書いていて気づいたが、絵が「立ち上がった」のはまだ所詮二足歩行の段階なのだな…。

コロナになって、創作に対する考え方ひいては自分の人生の使い方の軸が大きく変わった。今は人に絵を見せたいと全く思わない。今描いている絵は、もはや誰にも見せたくない。何故そう思うのか、自分でもよく分からない。夏は自己分析することはしないことにしているので、今は分からないままでよい。

まあ、今後も絵は見てもらうのだけれども。私はそうして見せることによってややこしく微細ではあるが自分の光のようなものを世界に投げかけることができる。見てくれる人がいる限り、見てもらいたいと思っている。ただ、「見せなくてもいい」というのは私にとってかなり大きな可能性になった。

今日も暑くなりそうだ。猫は私を避けているかの如く姿を見せない。レイトショーのナウシカはよかった。明日あたりもののけ姫のレイトショーにでもいくか。