2020,4,10

世の中が大変なことになってしまった。

ウィルスも当然脅威なのだけれども、何より自分の軸を揺さぶってくるのは様々な情報に付随する人々の感情の波だ。コロナは地球の環境浄化だと言う人もあるが、私はむしろ感情浄化なんじゃないかと思う。制作最中で本当によかった。今は自分にとって最も本質的なことをやっていなければ、自分を保てない。

一昨日はスーパームーンやら釈迦誕生日とやらで意識的にリラックスしたいい時間を過ごしたため、今日は描かずとも大丈夫かもと思い、無駄に収集した海外の美術館のポスターでゴミ箱を作ってみたり、チャゲアスの鼻歌を歌いながら家中の拭き掃除をしてみたり、洗濯して猫を虫干ししながらベランダでコーヒーを飲んだりなどしてみたのだけれども、漂う感情のざわつきにたちまち肩を掴まれてしまい、結局夜は絵を描いた。

5Gとコロナの関係性疑惑のようなYoutubeを知人がシェアしていて感覚的に妙に腑に落ちたため自分でもシェアしたのだけれども、反応はすこぶる悪かった。私は電波というものに目に見えるくらいの物質性を感じていて、それは不可視だからこそ脅威だ。であるからにして、5Gはとても恐ろしい。電波(電磁波)はウィルスととても近しい作用を感じる。電波は意識に振動しながら侵入し、ウィルスは細胞を振動しながら侵入してくる。電波は人間の感情に同調しやすく、ウィルスは免疫システムに同調しやすいのでは。全て私の想像なのだけれども。どちらも、避けるには孤立するしかない。しかし孤立というのも、これまた人間を内側から振動して弱らせる。

私は猫2匹と同居しており、通常は皆別々の部屋で寝るのだけれども、今年に入ってから私の寝室に集まることが多い。猫も不穏を感じているのかしら…というのは飼い主のセンチメンタルな幻想である。猫の在り方は絶対的なので、人間の感情波で揺れたりなどしない。人間のように「どちらでもいい」という曖昧な感覚が無い。猫が私の部屋で眠るのは、彼らにとって何かしら自分本位の快適な理由を見つけたからに過ぎない。こういう時私にとっては猫の存在は有難いのだけれども、猫にとっては私が家に居過ぎて煩わしいようで、拒絶的に押入れの奥などに隠れていたりすることが多くなった。なるべく猫の機嫌を損ねないように、適度な距離感と無関心を保ちつつ、静かな動作を心がけて過ごしている。

通常よりも友人知人家族と連絡をとることが多い。生活の見通しは闇だけれども、絵はどこでも描けるし、気にかけてくれる人はいるし、今ガムを噛みながらこうして日記をつけている。

全世界の祈り率が、あらゆる感情のカオス率を超えた時、コロナは終わるんじゃないかと思ったりする。祈りは自分と他の境界線を無くす唯一の感情のような気がする。全てが等しく救われますように。