2020.7.8 初夏の局面

夏至と日食と新月、甥っ子との蜜月、どんぶりのメロン、新しい居場所、新しい扉を開く友人たち、マドモアゼル愛さん、捨ててよ、安達さん。

大分への移住を考えている。実家に戻るのではないし、居住地域も殆ど馴染みが無いところであるので、私にとっては移住という感覚である。

ここ数年ずっと何となく曖昧にして決めることからやんわり逃げてきたことを、このコロナによって圧縮して考えさせられて、決断させられ、新しい可能性に飛び込もうとしている昨今である。まだ気持ちが追いつかないが、逆に言えば追いつかないのは気持ちだけで、私の身体や感覚や状況など、いわゆる処の「流れ」というやつは既にそちらに向かっているような気配があり、諦めに似た覚悟のようなものを持とうとしている。

私は変化というものが得意ではないし、出来れば何も起きることなく平穏に過ごしていきたい怠け者であるのだけれども、自分が歩く道に発生したことについては、案外すんなり認めて変化に沿うところがある。今の飼い猫2匹との出会いもそういった類のものであった。「ああ、くそ。出会ってしまった。仕方ない。」というような。今フリーランスとして生きているのだけれども、それも前の職場を辞めざるを得なくなったことからスタートした。

けれども、過ぎてみればそう思っていたのは自分だけで、今と同様に気持ち以外は全てそちらに開いていたような気がする。なので、今はあえて自分の気持ちに目を向けず、感覚に注意を向けている。

先日飼い猫おろちの耳の中が爛れていたため病院に連れて行ったのだけれども、イケメン獣医師に「お母さん、こちらにどうぞ」と言われて面食らってしまった。私は飼い猫どもと親子関係でいたことも、そう感じたことも、一度もない。猫と人間。それに尽きる。私と猫の関係は決して擬似親子関係などではなく、異種である猫と人間の全身全霊の関係である。

そんなことを、おろちが検査などをされている間に待合室にて考えて、今後お母さんと呼ばれることは御免蒙るので、よし、断ろう。と決意した直後、イケメン獣医師に「榎園さ〜ん」と呼ばれて颯爽と診察室に入った。色々結果などを聞き大したことではないことがわかり安心して診察の終盤になり、ここだと思って出た言葉は「今って、お母さんとか呼ぶの、普通なんですかあ?ちょっとびっくりしちゃいましたよ〜☆」などとヘラヘラして何が言いたいのか全くわからない軽薄な有様になってしまった。結局そう呼ばれることの拒否意思をはっきりと伝えることができず、自分の無様さに打ちのめされて、病院に連れてこられてここぞとばかりに色々検査をされて激怒する飼い猫おろちを伴って、家路につく。

病院に行った日の朝、都知事の投票に行った。まあ結果は大方予想通りではあったけれども、自分の意志表明を自分自身に突きつけるためにした投票は、個人的にはとても満足だ。今の私にはそういったことがとても大切な気がする。今までは自民を落とすために民主に入れるとか、この人は選出されないだろうからこの人に入れる、などという投票もあったが、私が「政治的」なことをする必要はない。選挙の結果と自分の価値観は別次元の話だ。

大雨や洪水で日本は大変なことになっている。災害のたびに、野良猫や野鳥などの動物はどうなっているのだろうと毎回思ってしまう。今ある全ての命が余すことなく救済されますように。

以前の日記にも書いたが、生れ月なせいか私は夏に何か大きな局面を経ることが多い。今年は移動かもな…。