2016.5.12
5月9日に着いたその足でBraunsweigへ。25歳の時以来。当時の小学校の先生や親しくしていた人らと再会。
30年ぶりに通っていたwaldorf schuleへ行った後、知人監督がBraunsweig在住のドキュメンタリー日本人監督を紹介してくれたので、会いに行く。アートと映画についての話。
ドイツでとても自然に日本人でいる様に見えた。何処に居ても、変わらなさそうな。実際どうであるかということよりも、そういう風に感じさせる人は好ましい。
20年間何となく釣針の様に引っかかっている未来的なビジョンがあり、それは私にとっては理想的なビジョンではなかったので真面目に向き合うつもりはなかったのだけれども、それでも何故かその引っかかった釣針を自分で取る気にはなれず、そのままにしていた。最近その釣針を刺激されることが多く、その監督男性と話した中でも刺激されることがあって、ああ、また来たな。と思いながら話していた。
ぶらぶらカーという予約制ヒッチハイクのようなものを教えてもらったので、ドイツ人男性の車でベルリンへ。グリーンエネルギー関係の仕事をしているとのことで、福島や原子力や風力発電の話。日本人の問題意識のことを聞かれる。無知が露呈。恥ずかしい。
深夜にベルリン着。やはりドイツは外国という気がしない。私の中に既に在る。部分的なことは見つけやすい。