2017.9.16

 

ひらがなえほん原画展(東京)、前日。

実はこの絵本が出来るにあたって、不思議なエピソードがある。

本当はこの話はあまりするつもりはなかったのだけれども、何故かすんなり話してしまったSW11 kitchin+RのYさんとTさんにぜひ日記にと言われ、何となく素直にそうだなと思ったし、私の記憶はすぐさま砂漠の蜃気楼のようなものに成り果てるので、そうなる前に記しておくことにした。

 

遡ること4年前。当時の私は厄年の身であった。

その年は奇妙な出来事に遭遇したり、不吉なものを見たりすることが多く、なるほど厄年だなあと思っていた。妹にはそれぐらいのことで、と言われたのだけれども、私は割と真面目に思っていた。自分ではどうしようもない不可抗力な出来事というものがあるが、その質がそれまでとは全く変わったからである。

 

ある日の朝、私が阪急梅田駅で電車を降りた後、何気無くプラットホームの上を見上げたら向こうから一羽のカラスが飛んで来る。よく見ると鳩をくわえている。

ああまただよ。厄現象だよ。カラスが鳩を狩る光景も、もう2度目だ。そんなことを思いながら見上げている私の頭上を、カラスは鳩をくわえたまま飛んでゆく。私は黙って見つめていた。

鳩がちょっともがいたように見えて、あ、と思った直後に、

鳩が落ちて来た。

私は思わずそれを受け止めた。

一瞬の出来事であった。

数秒呆然とした後手の中を見ると、まだ産毛が残る子鳩である。温かい。生きている。首から血を流している。

さて、どうしたものか。この後夕方まで百貨店に居なければならない。百貨店がこの子鳩を持ち込むことを了承するとは思えぬ。悩んだ末に駅員らに相談したところ、野生動物なので駅で保護するわけにはいかぬとのこと。そこを無理に頼みこんで、私が仕事を終えて必ず引き取りに来ること、死んでも責任は負わないことを条件に、夕方まで駅で預かってくれることになった。

 

持っていた上着を小さな段ボールに敷いて、その中に子鳩を入れる。

心の中で「生きろ」と念じた私の目を、子鳩は真っ直ぐに見返した。

それを見てどこかで小さく確信して、子鳩を駅員に託す。

 

夕方駅に戻って受け取った子鳩は、まだ生きていた。けれどもこのままではやがて絶命する。百貨店で二人展をしている相方久野安依子さんは野良猫などをよく保護したりしていると聞いたことを、ふと思い出す。ひとまず彼女に相談しよう。電話をかけると、親身になってくれた彼女が、ある人を紹介してくれた。都会で傷ついた野良猫や野鳥などの動物を世話しているという。早速その方に電話で事情を話すと、直ぐさま駆けつけてくださり、車で一緒に病院まで連れて行ってくれた。

 

病院での処置が済み、あとは自宅観察ということになった。

私はまた考えた。うちには野良上がりの猫が2匹居る。傷ついたかよわい子鳩に対する情愛などは期待できぬ。そればかりか、きっと一心不乱に全力で狩ろうとするに決まっている。飼い主の私が情に訴えて涙ながらに説得したとて、涙を拭っている間に子鳩に飛びかかるであろう。カラスの飯の代わりに猫の飯になること必至である。

 

黙って考え込む私に、その方は自分が面倒を見る事を申し出てくださった。私が治療費と養育費を出すというと、それも退けられる。その潔さと責任感に感謝と恐縮を感じつつも、他にいい案が浮かばないのでお言葉に甘えることにした。

 

それから4年。だいちゃんと名付けられたその子鳩は、その後立派な鳩に成長し、つがいとなり、なんと子鳩も生まれる。そうして今年までその飼い鳩生を全うしたのである。

 

育ててくださった恩人石川さんから、だいちゃんの逝去の知らせ。深く御礼を伝えた後に近々大阪に行く旨を伝えたら、そこに直接来てくださった。たまたま私の絵の展示中で、その私の絵を見て気に入ってその後に何点か購入してくださった。

 

そしてここでようやく、話の収束に向かう。

今回のひらがなえほんは、その方からの依頼なのである。

都会の野生動物保護の資金源として親子が楽しめる文字の絵本を作ってくれないかという。

 

まさかあの時の出来事が、こんな風に新しい扉を開くことになるとは思わなかった。縁とは全く不思議なものである。そのきっかけは、本当にちょっとした選択なのだ。だいちゃんもどえらい縁を運んでくれたものである。

 

こういうことが発生の源となった絵本制作であるため、全力で取り組まねばならない。いや、思わずかっこいい風に言ってしまったのだけれども、実のところ若い頃絵本に挑戦して自分の実力の無さを痛感して挫折したことがあり、以来絵本は私には無理だと常々思っていたため、全力で立ち向かったとしても撃沈するかもしれぬ。けれどもこれはもう、やるしかない。少ない脳みそを恨みつつ、画力の無さにうちひしがれながらも、それでも兎に角全力でやった。

 

実はここ1年ほど図書館のデザインの仕事をしたり、子どもたちに教えたりしていたので、今思えば絵本を作るに相応しい環境と流れになっていたような気がする。これらも私の実力や幸運などではなく、人の厚意が運んで来た縁だ。有難いことこの上ない。

 

 

私の仕事をひたすら信じてくれた恩人であり企画プロデューサーである石川さん、デザインを担当し、気持ちよく世界に流通させるために出版社まで立ち上げてくれたranbuの代表である妹に、心からの感謝を。

 

 

以上、ひらがなえほんの成り立ちのお話。

野生動物保護の支援に成る絵本となりますように。また、苦しい厄年を味わっている30代女子らの気休めになりますように。

 お終い。