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2015.10.15

ひたすら籠って作業の日々。

だいたい朝8〜9時の間に起床し、家事や猫と植物の世話をして10〜11時から作業開始、夜中0時くらいまで続ける。深夜までやることも。

作業期間は食欲が低下し、食生活も変わる。毎日殆ど同じ内容の食事。自分にとって最も基本的で簡潔な食事である。作業中はコーヒーとレーズンチョコ。その食生活が約一カ月続く。食に知能を殆ど使わなくなる。

友人に腰回りの気の流れが良くないと言われ、積極的に腰の運動。作業中は身体のメンテナンスに注意するようになる。同じ体勢で長時間過ごすため、身体が硬くなるのを防ぐためにマメにストレッチをするようになる。
外出しないので、お金も殆ど使わない。制作のこと以外考えないので、ストレスによる顎痛も無い。猫がいるから、寂しさも無い。人と会うのは好きだけれども、もともと孤独は嫌いではない。
つまるところ、私は体調も精神状態も作業期間が最も良い。ということに、今日気づいた。

テレビ番組で台湾の彩虹村という小さな集落を一人でコツコツ村の壁や道に絵を描き広げたおじいさんの話。今は観光地に。絵も素晴らしい。私もこういう感じがいい。

今日は作業も捗ったし、筒井康隆を読みつつ安心して就寝。

2015.10.9

朝から池袋へ出向く。歯科矯正の定期健診。顎が痛い旨伝えて、マウスピースつけることに。顎の使いすぎとのこと。どういうことなのかさっぱりわからない。多分ストレスによることなのだろう。私はストレスに弱い。怠けきれぬ怠け者であるので、いつもクヨクヨネトネトしている。半端という言葉が最も私に相応しい気がする。と、こんなことを日記に書いている事が何より半端である。

時間が空いたので久しぶりにブックオフへ。筒井康隆などを5冊購入。楽しみ。

バス停の列で、30センチの隙間が許せない女の人。カツラのように額の生え際が整いすぎているかわいい歯科衛生士さん。丁寧に順番を譲ってくれた男子学生。誰にも聞かれないまま立ち尽くしている案内インフォメーションの女の子。街はカオスだ。

夜ベランダでぼうとしていたら、暗闇に黒猫。一瞬立ち止まってこちらを見上げているようだ。目が合った。気がした。何かのタイミングが通り過ぎたような気がした。それが何かはわからないけれども。

2015.10.6

午前中は掃除。午後から作業。ちっとも捗らず。やる気も出ない。日向で惰眠している猫どもと昼寝。

夕方から赤坂で「ラポールと身体知」の高石宏輔さんのワークショップに行く。4時間と長丁場。参加者は私以外みな男性で意外だなと思ったけれども、よく考えたら高石さんはナンパ術から有名になった人なので、意外なのは私の方だったようだ。内容は同調や緊張などを体感し、意識的になることでよいコミュニケーションを発生させようというもの。言葉にすると簡単で安直だけれども、とても繊細さを必要とするものだった。人と話をする時、調子を合わせることのみをするということ。当たり前のことのようだが、「のみ」のところが重要。

最近やたら眠いしお腹が空く。身体のあちこちが痛むし、よく夢も見る。冬に向けた変化なのか。どちらにせよ、快適な状態ではない。

2015.10.1

展示の打ち上げを催していただく。今私は酔っているままに書いている。個人的な日記であるから、それでよいのだ。後で読み返したらきっと後悔するのだろうけれども、それでもよいのだ。
私は何年もずっと意識の片隅に在ることを、突き付けられることが最近多い。今はスピード感が大切な気がする。不意に意識上に上がってきたことは、その瞬間に向き合う必要があるような気がする。私はそれを気付いていながらも先延ばしにしていたから、極まってしまう。煮詰まる。
クレバーな人に、それを指摘されてしまう。もういい加減に、人を巻き込むことで頼るのではなくて、自身で解決する必要がある。そうでなければ、同じことの繰り返しだ。追い詰められなければ向き合わない自分の性質を変えなければならない。
あー酔ってこんなことを公開してしまって、明日はアイタタターと思うに違いないけれども、個人の日記だからいいのだ。
酔いながらも、突き詰めることを決意する。私は何をするのか。

お仕舞い。

2015.9.27

昨夜はとても体感的な夢を見た。

明るい空中のハイウェイを家族で猛スピードで走行している。視界的に私は運転席か助手席にいるようだ。私は予感している。カーブを曲がりきれずに右側から道路を飛び出し、空中に投げ出される。下は一面海。落下しながら見た景色が印象的である。平面的な真っ青な空に、無数の黒い鳥が群れて竜巻のようなうねりを形成している。ハイウェイのちょうど真上だ。私は家族とゆっくりとしかし確実に海に向かって落ちているが、この速度なら着水準備が出来ると思い、家族で確認し合う。意外と穏やかな着水。その続きはあったが、忘れてしまった。

今夜は中秋の名月。最近アクションが激しい夢が多いので、今夜は穏やかで静謐な夢を見たい。明日は満月であるし。

満月茶飲んでから就寝。

2015.9.25

暫くぶりの日記。よく人と会ったりはしたが、特記するような事はない一週間であった。9月に入り、殆ど何もしていない。何もしていないと、本当に日々は素早く過ぎてゆく。
この制作から解放されている時に失効してしまった免許やパスポートなどを取りに行けばよいものを、何にも出来ていない。が、さほど罪悪感もない。
よく寝てよく食べている。こう書くと健やかな感じがするけれども、どちらとも必要以上なのであまりよろしくない。制作していると色々自律するため、意外と忙しい時の方が体調はよい。
今日は寒い雨の日。湯たんぽが手放せない。先月までよく聴いていた音楽が、全くはまらない。今は何だか鈍い。無意識な範囲が広い気がする。
呼吸法をして、日記をつけ、宇宙兄弟を読みながら就寝。

2015.9.17

早朝目覚めて何か思ってまたすぐに寝た。ああ、やっぱり〜なんだと思った。〜の部分がさっぱり思い出せない。

今日は一日中雨。ヒタヒタ降ったりざあーと降ったり。寒いので湯たんぽしながら作業。

昨日買った白子を煮る。玄米を弓田式に炊く。美味しかったのだけれども、全て消化しにくいものだった所為か間も無くして下す。身体が冷えたため入湯。数日前に八百屋で見かけたので今年最後だと思いたち、好物の西瓜を買う。しかし、その日から気温が下がり、どうも西瓜を食べる感じでなくなってしまい、放置していた。さすがに痛み出しており、この寒い中湯たんぽしながら西瓜を食す。そしてまた下す。当たり前である。

ベランダで気分転換しようと出てみると、いきなり雨がざあざあ降ってきた。こういうことばかりである。こんなに雨に行き当たることはなかったように思う。今年は本当によく雨に濡れた。雨ばかりでなく、色々とタイミングがすこぶる悪い。ズレているとか、狂っているというよりも、どんぴしゃで悪い。

最近やる気が出ない。夏に燃え尽きたような風だ。無為に時を過ごしている。時季外れの五月病のような。

寝る前に神託カードをひく。現状はいいらしい。恐れるなと出る。心する。筒井康隆の日本列島七曲り読みながら就寝。

2015.9.14

一週間ぶりの日記。友人が泊りに来ていたり、展示中のカフェで友人夫婦が一日食堂を営んだり、友人たちが来訪したりと、とても人に会っていた。
一昨日近くのホームセンターで網を買い、飼い猫に破壊された家中の網戸を張り替える。一日仕事。

我々は好むと好まざるとに関わらず運命共同体なのであるから、お互いがストレスを作らぬよう努力までとは言わないが、意識はするようにしようではないかと飼い猫どもに提案する。深妙な顔つきでじっと聞いていたので承認を確信し、安心して台所に立つ。直後、バリバリという不快音。雌猫おろちが張り替えたばかりの網戸を破壊しようと全力で網戸に登っている。視界をクリアーにというキャッチコピーが付いていた黒い網戸に張り替えたため、猫が珍妙に宙に浮いているように見える。などと思っている場合ではないと思い、全力で阻止。提案は承認されたのではなく、無視されたようである。

今朝、雄猫スピカが寝ていた友人の顔に肛門をつけたとのこと。スピカは毎朝その行為を私に行っている。それを私は愛情表現だと思っていたのだけれども、単に毎朝肛門が疼くため私の顔を利用していたのかもしれない。若しくは私と友人を間違えたのかもしれない。どちらにせよ、今後私とスピカの関係性に影響が出ると思われたので、考えるのをよす。

昼に泊まっていた友人が発つ。夜は別の友人宅へ。ブルガリアの気さくな女性作家が来ていた。みんなで食事と団欒。最中に巨大なゴキ。友人絶叫。抹殺を命じられ、男性の友人と連携して退治。夏の終わりの思い出作りになったという結論に。ブルガリアの作家は魚のような目で一連の出来事を見ていた。
深夜帰宅。日記をつけて就寝。

2015.9.4

町田康の「常識の路上」読了。

ひとつひとつの物事の読みが一層も二層も深い。特に堕落への道のりの章が面白かった。他の章での人同士の交流についての記述。「欠けを欠くということは欠くべからざる全体をも同時に欠くという残念な結果をもたらす」という一文に胸を突かれる。
夕方までただ転がっていたのだけれども、あまり快復に向かっている感じがしないので、起きて掃除と洗濯。夕方作って食べたら少し回復。

いつもその時の制作の最終地点で、技術と精神状態と体力が集結した一点になって、他次元があるにせよひとつの頂点に達する。しかし期日と体力によってそれから先を続けたことがなかった。一度降りてしまえば、また登山道の入口からだ。そして同じ登山はつまらないので、他の登山に切り替える。

そのようなことの繰り返しであった。けれども、自分が頂点だと思っていたところが、本当の始点であるような気配を以前から制作が終る度に感じていた。色々極まっているし、この際やってみようという気に。多少痛みが増えたところで、どうということはない。

眼前でおろちが網戸を食い破って脱出を試みているが、もはやどうでもよい。既に網戸は大幅に破れているし、ここで一喝しても無駄なことは経験で知っている。私にも少しばかりではあるが、経験知はあるのだ。

町田康が本中で書いていたルー・リードを聴きながら読書しつつ今日はもう就寝に向かう。