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2015.8.31

午前中準備の完了に向けた作業。

最近お世話になった印刷所にまた頼むことに。ついでに友人に美味しいと聞いた近所の担々麺を食すために楽しみに早めに家を出る。店休日であった。

まだ印刷所との約束の時間には早いし、空腹のため向かいにあった古めかしい藪蕎麦屋へ。十割の田舎蕎麦蒸篭。どうやら名店だったようで、わざわざ食べに来たような集団が。なるほど、安く美味しかった。店内も静かで広く明るい。二階から通りを見渡せるし、飾り気が古めかしい感じがかえって落ち着く。蕎麦湯を啜りながら、暫しぼんやり。

印刷所に行くとあゆきさんと名前を覚えていてくれて、少し嬉しい。待っている間に、奥で猫について熱く語るおじさんたちが。猫と同居している私としては混ざりたかったのだけれども、あんまり熱心に話しているので、横入りして邪魔をするのも悪いし、大声で話しているためわざわざ混ざらぬとも話は聞けるので傾聴にとどめることに。どうやら最近ご自宅の庭で野良猫が子猫を生んで、子育てを手伝っているようである。ハムスターみたいなんだよ!と何度も言っていた。

印刷が終わり清算。予想外に高額で、しまった、先に聞いておけば良かったと思いつつ、いい用紙なんですねーなどと皮肉っぽい言い方をしてしまい、それにまたしまったと思っていたら、単なる計算ミスであった。半額以下に。言って良かった。

明日の搬入の準備も早めに終えたし、ゆっくり入湯。空腹だけれども食べたい気分でなかったためバナナを一本食べて日記をつけ就寝。

8月最後の日。
とてもエネルギッシュで、その分エネルギーを使った夏だった。

2015.8.30

夕方まで作業。やっと終盤に。

展示が始まったら、遅めの夏休みを取って何処かへ行こうかなと考える。青春18切符がいい。私は切り替えることより、馴染んでゆくことの方が性に合っている。一定の距離と時間により出来るリズムが身体に入ると、とてもリラックスして移動そのものに委ねられる。

そういった私の性質がゆえだろうけれども、仕事とプライベートを分けるとかスイッチを入れるとか割り切るとか、そういうことがいまいち実感としてはよくわからない。以前は羨ましく思っていたけれども、今は諦めた。

作業も先が見えたし、気分転換に日暮里の祭に出掛けたが雨で気分は萎えて、北千住で誕生日に発刊された町田康の新書「常識の路上」を購入し、声をかけた友人らと会うことに。巣鴨のチャカデビプルジャへ。

夜遅くに帰宅。神託カードをひく。最近は風を読めとかビジョンだとか、方向性についての内容が多い。自意識過剰な私には割と苦手分野なのかもしれない。真面目に考えよう。

今夜は満月。承認の日。制作を終えたことは認めるか。

2015.8.28

一日中作業。
合間に材料の買い出しに近くのホームセンターへ。ついでに西新井大師に寄る。真言が書いてあって、唱えてみる。3の倍数唱えるらしい。9回唱えたら、何だかすっきりした気分に。おみくじ。末吉。金運よし。最近何をしても金運よしと言われる。楽しみ。

居間のテレビと照明がしばらく点かなくなる。やはり私が電気的なものを持っているのだろうか。もうこれ以上機器類が壊れるのは勘弁してほしい。いくら金運よくても勘弁してほしい。

少し前に作業部屋の模様替えをしたのだけれども、家具の配置により猫が天袋に行けなくなっていた。しかしここ数日どうやらかつての好場を狙っているようである。けれども足場などは皆無だし、高さ的にも無理であろうと高を括っていた。が、私が作業をしている横で愛猫おろちが決意した面持ちの直後に飛び上がり、危なげながらも天袋へ。驚愕した。
以来イケるとわかってからは、難なく上がっている。経験知というものを目の当たりにして、思わず腕組みする。

今夜は気圧が不安定なせいか耳鳴りと少し頭痛。シトシトと雨の音が落ち着くので、窓を開けて就寝。

2015.8.27

一日中作業。夜気分転換に友人宅に。気分転換になった。

自分の傲慢さと虚飾と自意識過剰について考える。シンプルさが必要。生放送で殺人を犯して自殺したアメリカの事件。決して他人事ではない。

夜見るスカイツリーがきれい。秋の風が気持ちいい。夜空が薄っすらと紫がかっている。星が見えない夜空。それだけのことだ。

今は責任を全うすることに集中せねばならない。作業に戻る。

2015.8.25

一日中作業。
今日は一気に秋に変わったような日。昼食に温かい味噌汁。二階で寝ていた猫どもが煮干しの匂いを嗅ぎ付け興奮。一喝した後提供。録画していたおもひでぽろぽろを途中まで観る。

寝屋川の事件。
最初にyahooニュースで見た時から、とても嫌な気がした。全身に鳥肌。だから最初は関連ニュースを見るのを避けていた。事件性に全く感情的なことを感じなくて、それがゾッとする。ニュースには一切影響されないようにしているけれども、この事件は自分の負の部分が強烈に引っ張られる感じがする。

作業の合間にこの日記をつけているのだけれども、静かに雨が降り始めた。
屋根から滴り落ちる水滴の音がリズミカルで心地いい。
音楽をニール•ヤングに変えて作業に戻る。

2015.8.22

図書館。作業。
夜祭に太鼓見に。
近くのカフェバーへ。

今ベランダで日記を書いているのだけれども、その間に手の平を蚊に刺され、不快。
今日はとても感情的な日。
こういう時は作業に救われる。

夜風が心地よい。
月もきれい。

2015.8.17

一日中作業。
休憩中、録画しておいたテレビ番組プロフェッショナルの細田守監督編を観る。泣いた。「自由などない、正解はひとつだけ」名言だらけの番組だった。消さないでおこう。

作業後、近くの映画館へ細田監督の新作「バケモノの子」を観ることに。
下しに行くのが億劫で所持金30円なのを忘れていた。日々入れている500円玉貯金瓶からコイン3枚だけ(レイトショーは1300円)を手に家を出る。自転車で深夜の映画館へ。観客は数人。

見応えはある映画であった。
おおかみこどもの雨と雪にとても感動していた経緯からすると、ちょっと意外。千と千尋の神隠しだ。「九太、今17歳か。じゃあ十七太にするか。」「九太でいい。」のところと、「誇らしいのう」「誇らしいぜ」の場面がよかった。でもグッとくるべき場面ではあまりグッとこなかった。

細田監督の作品の中ではおおかみこどもの雨と雪が一等好きだ。
私は映像の見応えよりも感触とか気配とか感情の揺らぎとか、そういうものを濃く感じられるものが個人的に好みなのであの作品はよかった。どうやら私が痛く感動するのは、局面でそれまで渦巻いていた自分の感情よりも状況を完全に受け入れた瞬間の人間の在りようのようである。成瀬巳喜男の「雷」とかグザヴィエ•ドランの「Mother」とか、おおかみこどもの雨と雪とか。

映画館からの帰りに、余った200円でレーズンチョコと炭酸水買う。
星占いによると明日の乙女座はシャープな知恵の日。
期待せずに就寝。

2015.8.16

一日中作業。
途中急にたまならい気持ちになり、涙が次々溢れ落ちる。明らかに自分のものではない感情だけれども何となく肯定し、ひとしきり泣く。今日はお盆であるし、様々な感情があたりに満ちているのかもしれない。深く考えずに、5分後作業再開。

作業中に聴く音楽にかなり影響される。The Chemical Brothersを聴きながら描いたものは無闇だし、中村一義を聴いて描いたものはオープンな感じ。前者はちょっと変な方向にいっちゃってるものもあったので少し修正。

うちに里帰り中の息子猫を連れ帰りに友人夫妻来宅。帰宅後暫く母猫おろちが私にずっと要求している。息子猫の居所を知りたい様子。帰宅を告げても納得出来ないようだ。無視して作業。

雨上がりの後、虫が鳴いている。
夏が離れるのも遠くない。

2015.8.15

終戦記念日。70年談話。ポリタス。新月。お盆。断食。

友人宅に招かれる。精神科に関わる仕事の人の話。「医者と患者の立場など紙一重」だそうだ。

深夜に環七を自転車で疾走。土地の起伏がわかる。西新井はやはり河が氾濫したらかなり沈むだろうことを実感。

帰宅後猫が次々に排便。
なんでやねん。
と前は思っていた。

私が起床した直後や、帰宅直後によく猫どもは排便する。
以前文献に載っていたのだけれども、猫は本来衛生観念が発達しているため、巣の近くでは排泄をしない。命をかけて排泄をしに巣から外出するため、排泄には相応のテンションが必要なのだそうだ。

つまり、猫どもは私が起きた時と帰宅した時に上がるテンションを利用して排便しているということが推察される。
そういうわけで今は帰宅直後にリラックスしようとしている私の目の前で猫どもに次々に排便されても、温かい眼差しを向ける事が出来る。

就寝前に、漫画市川春子の25時のバカンス。音楽Broken Social SceneのYou Forgot It in People。