2018.10.26

ranbu「絵本原画と風物詩カレンダー展」、銀幕ロックのマケドニアの愛の唄、浜ちゃん亀有ライブ、きび&ぎん、komagome1-14cas「榎園歩希のいろいろ展」、hilma af klint、METAFIVEのDon’t move

2ヶ月ぶりの日記。先日個展が終わり、色々な友人知人が来てくれてとても嬉しい。来月ドイツに行く資金もできて、とてもありがたい。

私は夏前くらいに色々な展示を見た時に、心を打つものと、そうでないものとの違いについて考えていて、それは最終的に技術に寄るか感性に寄るかということなのではと思い至った。

一見同じ方向性の絵でも、中心を鷲掴みにしてくる力の次元がまるで違う。技術とは作家の努力、つまり説得力と誠意だ。他のものならば誠意で感動を起こすかもしれないが、芸術においてはそうでない気がする。作家本人の、中心を明け渡すまいとする本気の抵抗、あるいは世界の核を捉えたいという分不相応で我が儘な欲望。なんじゃないか。それは人間として最も無様さと滑稽さと恥を伴う。それでもなお諦めきれぬ衝動。それが燃え尽きない人を才能ある人と呼ぶのかもしれない。

技術が不要と言っているのではない。技術を尽くした果ての話である。果てで何を見るか。技術は所謂過去とも言える。それを第一に見るということは、その時点でもはやモノになる。モノでなく存在にするには、自分の意味不明説明不可能な感性に飛び込むしかないんじゃないか。だからピカソもクレーもミロも自分の得た最高ともいえる技術をかなぐり捨て、常に未知なる一点に目を向けていたんじゃないのだろうか。

などということをしばらくずっとうっすらと考えていた。まあ技術の果てなどほど遠い私などがそんなことについて考えても仕方ないのだけれども、そんな私ですら案外技術というのは楽しく結果につながりやすいので、知らぬ間にその大波に乗ってしまう危機感をうっすら感じてしまった。技術を得る事に最も快感があってはいかん。そこを目指してはいかん。

そんなことを何故今日記にこうして暑苦しく書いているのかと言えば、それは今回個展で自分の絵の流れを見て、そういうさざ波の予感を感じたからだ。私にも自分なりに得た独自の技術というものがちんけだけれどもあって、そこにしがみつこうとしている浅ましい自分の姿が見えてしまった。それが描くことの目的になってはだめだ。手段にとどめなければ。私は誰かを説得したいのではない。そのためには、もっと自分が自分の中心に触れていかなければ。あー久しぶりの日記は色々込めてしまって見苦しい。まあいい。私は見苦しさ満載の人間なんです。

個展の話に戻る。個展中のイベントで浜口寛子さん(music)とカフェ・ド・カトー(eat)に参加してもらった。浜ちゃんの音楽は、誰かが誰かのために作っているカレーの匂いとか、まっさらなおろしたてのカーテンとか、ぼんやり立ち上る真夏のアスファルトの蜃気楼とか、そういう不確かさと確かさの間のようなものを、濃密な空気感としてふんわり掌の中に手渡して広げてくれる。私はそういうことがとても好きだ。彼女の柔らかな直向きさにぐっと来る。カフェをするまいちゃんも、彼女の独特な強いクセのようなものがセンスとして形になるその不思議さは、感動的だ。私の年配の知人が「気配が強く残る人ね」と的を得たことを言っていた。そんな二人との雨と稲光の中のイベントはみなとても楽しんでくれたようで、本当に嬉しかった。

今年は台風が多かった。東京に直撃した時、飼猫らがいつものように私の近辺からいなくなり、家の崩壊が心配ではらはらして眠れぬ深夜、心許なくて猫らを探してみると、なるほど風音が聞こえない仕事部屋に2匹でじっといた。これは確かに比較的安心だと思ってしばらく猫らとその部屋でぼんやりする。ふと根底に深い安らぎが横たわっているのが感じられた。熊野で何かが落ちたのかもしれない。不満や文句など、なにひとつないなと月を見て思えた私は、とても幸せな人間だと言える。ありきたりな話だけれども、最近全てに感謝が絶えない。今日は満月。やさしく、ひとしく、みなを照らしますように。

2018.8.9

弟結婚式、大分タピエスイベント、長崎鼻海岸水泳、温泉、高校バレー部、あべりあさんとミヤケマイさん、スピリチュアル恩師、後輩Kちゃん、熊野古道、on the riverhuman museum、台風と秋分。

 

8月。今日は長崎原爆投下の日。今年の夏は色々活動的だった。非日常的な場所に行き、非日常的な人と会った。体感として耕田期に入ったので、自分を立て直したりする準備にはいいかもしれない。

7月後半に母と熊野古道へ。4日間みっちり歩くだけの旅。この灼熱の中、66歳の母がよくついてきたものだ。もちろん熱中症対策の準備は念入りにしたし、常に母にも注意は向けていた。

こうして書くと何だか親孝行な風であるけれども、そういうことではない。先だって私は自分の歩みを優先すること、途中で母が挫折したらそこで別れること、私に従うことを強制的に約束させたので、むしろなぜ母が同伴を希望したのか不思議なくらいである。数年に一度の割合で、私は母とこうした風な旅をすることになる。

前日に福岡入りしていた私と大分から出て来た母は福岡空港から中部国際空港に飛んで、そこから青春18切符で伊勢神宮に詣でた後、紀伊半島の新宮に向かった。深夜23時くらいにビジネスホテルに到着、翌朝6時過ぎの電車で那智に向かって、まずは大門坂から熊野那智大社まで2時間半ほど歩く。

早速大きな杉の木の入口。最初は後ろに中年夫婦がいたのだけれども、いつの間にかいない。入ってすぐに大きな真っ黒な蛇に出会う。

この後の熊野古道中はずっと交互に、黒い人、白い人、黒い羽、白い石など、黒、白、黒、白の順で毎日すれ違うことになる。普段の私なら深く掘り下げてしまうところだけれども、歩みに没頭しているため無意識に限りなく近い意識の部分を漂っていたので、流れ過ぎてゆくようにそれを見ているだけだった。

話は戻り、熊野那智大社から歩いて那智の滝で給水し、バスで那智駅まで戻り熊野速玉大社へ。途中、食堂(柿乃肴)に不意に入りとても美味しい手打ち蕎麦と柿の葉寿司を食べ、そこに置いてあった雑誌の1ページで熊野三山の奥宮である玉置神社を知り、全部予定を変更してまずそこを目指すことをその場で決める。いい雰囲気の同年代の店主夫婦が、色々丁寧に教えてくれた。

熊野速玉大社を参拝した後、店主夫妻に勧められた断崖絶壁にある神倉神社へ。ものすごい急勾配の階段。ここで那智山から度々会っていて「きっとまた会うわね」と言っていたドイツ人夫妻とまた会い、今度は「さようなら」と言って別れる。別れの挨拶をしたから、もう会わないね、きっと。と母と話す。

途中灼熱で干からびかけた私と母は遭遇したベロタクシーという人力自転車タクシーに乗って神倉神社から新宮駅へ。とても好ましいお兄さんが道中街を案内してくれる。途中の果汁100%温州みかんかき氷が安く食べられるかき氷屋さんに止まってくれて、タクシー内で食べる。母はあまりのお兄さんの親切に疑いを持ち、後にそれが全く覆されたることとなっため、旅の最後まで自己嫌悪に苛まれることになる。

その後熊野本宮大社へ参拝。色彩が使われていない、潔い男っぽい神社。八咫烏のマークが非常に可愛い。この旅を不意に思いついてから、神託カードは熊野のものばかり出ていた。しかしながら私は元来の怠け者である。正直言って旅直前は若干面倒な気持ちになり、この熱波を理由に何とか先延ばしにしようとカードを引くとまたしても八咫烏のカードが出たので、腹を括って翌朝旅立った。そういう動機があったため、「来たんだから頼みますよ。」と八咫烏に強迫めいた安全無事祈願をして熊野本宮大社を後にした。

 

急遽予定変更を決めたため、道すがら予約していた宿などをキャンセルしながら玉置神社に行ける一番近い集落である十津川村までとりあえず行くことに。既に山深い場所。バスは一日2本というこの土地で、とりあえず向かうというのは無謀だけれども、ここは八咫烏を信じてダメ元で目的地に定めてみる。着いた宿で詳細を聞くと、やはりバスは平日しかも1日1本しか通ってないということで進路は絶たれた。と思いきや、宿のおばちゃんの配慮で友人のおじさんが早朝仕事前に連れて行ってくれることになった。

 

翌朝6時宿のおばちゃんが握ってくれたおにぎりを持って、玉置神社へ。母と二人きりで誰もいない。樹齢三千年の神代杉が突然前触れもなく目に飛び込んで来た。これはちゃんとしなきゃいかんやつだ。と直感的に思う。恐れを感じる樹なんて初めてだ。裁きの閻魔大王みたいな出立。でももう眼前にいるので逃げることもできないし、完全降伏のような気持ちでしばらく佇む。興奮した母が写真を撮ろうとしたので堅く戒めてその杉を後にする。ギリギリセーフ、のような感じ。母の無邪気さのおかげかも。あんなに緊張を強いられる樹は初めてだ。樹も三千年も生きるともう存在そのものが物質を超越して気の塊のようなことになるのかも。とにかく緊張した。思い出すだけで、今でもドキドキする。

 

緊張感から脱する頃合いに、玉置神社に着く。神代杉とは打って変わって、ピタリと流れが止まったような空間。全く生死の気配がしない場所だった。こんな場所も初めてだ。丸一日いたような、一瞬だけだったような。手を合わせて目を開ける瞬間、パチパチと青くスパークした。

帰り道も同じ道だったのに、あの神代杉に会わなかった。もう一度見たいと思っていたのだけれども。母も同じことを言っていた。あんな巨大な杉を見過ごすなんて。でもきっと、そういうものなんだろう。そういうことなんだろう。

 

玉置神社から下山し、車中でおじさんと話しているうちに何故か熊野古道の小辺路ルートを歩くことになり、登山口までおじさんが送ってくれた。当初の予定としては、初心者コースの中辺路を歩くつもりであった。うだるような暑さで母も一緒だ。途中必要ならバスなどで登山を回避できる道でなければと思っていた。それが不本意にも気づいたら小辺路の登山口。上級者コースの小辺路は殆ど調べていなかったが地図は手元にあり、不安に囚われるのが熊野古道を歩くのには最も適していないと思っていた私は、あえて母にそのことを一切告げずに8時前に登山口で登山者登録帳に記入する。この旅のキーワードは委ねることだ。母に熱中症予防を色々施す。登山開始直前に村営バスが通り、運転手や乗客が窓を開けて「頑張んなよ〜!」と声援を送りながら通り過ぎて行った。

 

ここから、今回の熊野古道の真髄となった歩みが始まる。

「きっと様々なことが起こるけれども、全てはいずれ通り去っていくものだから、動揺せずに自分の感情に囚われないこと。目的はゴールではなく歩くことそのものだから、身体の力を抜いて山に身を委ねて歩みのリズムだけに集中するように。」とまるで私自身が言われているような感触で母に言って入山した。

 

最初から急な登り。登山は身体が慣れるまでの序盤がきつい。もうだめだと思うポイントには必ずお地蔵様がある。これを数えながら休憩もあまり取らずに母と進む。4時間ほど歩いた頭頂付近に観音堂があり、そこで宿のおばちゃんが握ってくれたおにぎりで昼食。田舎の濃い味付けが疲れた身体にとても合う。湧き水で頭から水を被って身体を冷やし、給水して出発した。頭が濡れたので二人とも白いタオルを頭に巻き、たまたま持っていた鈴をお互いの状態を知るために各々手の棒につけた。また何故か登山だというのに私と母は熊野に入った日から、手洗いしながら毎日同じ真っ白い服を来ていて、図らずも何だか巡礼者のような格好に。実のところ白い風通しが良い服は熱中症予防には最適だったようで、昔の巡礼者は理にかなった方法できちんと体力管理をしていたのだなあと感心した。

 

道中上手く説明できぬことが様々あったのだけれども、まあ理解してもらう必要も無いので詳細は省略する。日頃悪い頭で無為に色々考えがちな私が、無思考な瞑想状態のような感じを保ち、母の精神状態を手に取るように感じ、こんなに何かに委ねたのは初めてだったので、本当に気持ちがいい歩みだった。

 

何はともあれ、気づけば体力も精神力も水も食べ物もギリギリのラインで8時間後に下山。15時すぎバス停に到着したが、1日2本のバスは終わっていた。母も既に限界。この灼熱の中このままここに居るのも危険だ。結局ヒッチハイクで車を止めて、仕事へと急ぐお兄さんが大きなバス停まで乗せてくれた。関わる人がみんな優しい。ありがとう。ありがとう。

 

その日は近くの川湯温泉の宿へ。疲れきった身体をほぐす。熊野は温泉地帯なため滞在中は毎日温泉に入れたのが、本当によかった。私は睡眠より食事よりお風呂なのです。食べ物も偶然にも旅の間はずっと恵まれ、天然鮎、柿の葉寿司、めはり寿司(奈良県吉野地方の郷土料理。おにぎりを浅漬けの高菜で包んだもの)、温州みかん(母が道で拾った)、手打ち新蕎麦などが食べられた。

 

翌朝、最終日。当初の予定であった中辺路を歩くことに。発心門王子→熊野本宮大社までの4時間。前日の疲れと気温を考慮して下りのルート。楽な歩きって何だかな。と物足りなく思いながら歩き始めたのだけれども、歩いてみると下りも登りも本質的には同じだと気づいて、戦後の陽動意識の名残である苦労=達成感みたいな呪縛がまだまだあるなーと思った。苦労は報われない。今は幸福感や感謝が報われる時代だ。と思う、個人的には。罪悪感や自己嫌悪が最も無駄だ。何にもならない。誰にも優しくない。自分のプライドを保つためだけの行為。だと思う。後悔や反省もその瞬間に責任を持たないことの産物だ。それをずっとやってきて、そんな自分にうんざりした私の個人的結論です。

 

再訪の熊野本宮大社に辿り着き、安全無事の感謝と報告の参拝をして、熊野古道は終了。バスで紀伊田辺へ。青春18切符で大阪に向かう田辺駅で、突然母のリュックサックが弾ける。風に散乱し舞う荷物。リュックサックは完全に壊れていた。そして同時に私は生理になった。

という結末で、熊野の旅は終わった。

2018.7.4

暑い。久しぶりの日記の一言目としてはあまりにも如才ないが、それを考慮してもまず言いたい。暑い。

W夫妻還暦祝、浜ちゃんライブ、トラ訪問、仮免、夢日記、梅仕事、出雲大社、さくらんぼとパンの会、厳しい女子会、てんやわんや、エロいカラオケ。

一昨日は男友達に厳しいと評された女子会の続編会。(※他の友人に女子会とは丸の内や表参道でキャピキャピやるのを女子会と称するのであって、家で酒飲みながらやいやい言い合うのは婦人会であるという指摘を受けるが、それも何だか字面が萎えるので、強気に女子会ということにする。)

私は上滑りな共感とか肯定感だけの会話や関係が気色悪くて嫌いなので、率直な物言いをする人や場が好きだ。指摘されたり仕事を批評されるのはありがたい。そのくせに、プライド高く妙なナイーブさを持ち合わせているため打撃は受けるし、虫の居所が悪かったり相手がレッテルを貼ってこようとすると癇に障ることもある。それでもいい雰囲気でまとまるよりも、何かしらの突破口をと思う。

友人に、私のことを「赤茶色で一見固そうだけれどもあるポイントをつくと簡単に木っ端微塵になる岩石で、粉々になった後も指に粉がまとわりついているようなイメージだ」と言われて、感心してしまった。うまいことを言うもんだ。自分の本質は案外周りにすっかりバレているものである。

別の機会に他の友人から「どんな人になりたいか?」と問われ、弾力がある人だと答えたところがまた、前述の友人の真っ当さがうかがえる。

ちなみに子供時分は、だいたいそのへんに転がったまま極度にのったりした動作で生活していたため、母からはナマケモノと呼ばれていた。

足の指に漫画を挟み、左手でページをめくり、右手でスルメイカとポテトチップスを食べるという自堕落ゆえの独自技を身につけ、妹によく観察されていた。

最近これはと思った情報や思いつきなどを、頭に浮かんだ人に食いかかるように知らせしてしまうことが多く、余計なお世話おばちゃん化が著しい。被害に会った方はどうか冷たくスルーしてください。

昨日はiPhone故障の相談で新宿のAppleへ。応対してくれた男性が何とも好ましかった。私の中ではAppleあるあるなのだけれども、一見冴えない風に見える人ほど、デキる。

動作や言葉や距離感などのテンポが乱れず、求められていることにポイントだけで確実に応える。眼鏡が下にずれていて猫背で寝癖ついてたけど、全く過不足が無い人だった。方や隣にいたファッショナブルできれいに眉毛を整えた、いい匂いのお兄さんの、テンポ運びのダサさよ。最後に私が自作した月齢手帳を見て「月齢っていいですよね」というポツリとこぼれた一言で、落ちかけた。我ながらチョロい女。

この暑さで猫らの抜け毛がひどい。動いたら毛が舞う有様。そのためかスピカが機嫌悪く、目が合う度にシャーッと怒ってくる。私の所為ではないと反論しても、イライラして聞き入れる気がないようだ。無視することに。

あっという間に下半期だ。来月は40歳。デーツかじりながらカフェオレ飲んでいる呑気さはいかに。40歳は、新たなスタートにしたい。

2018.5.15

久しぶりに近所のカフェで読書。「ピカソ講義」岡本太郎と宗左近対談。

「危険な道を選べ」というのは、岡本太郎の有名な言葉であるが、これをそのまま凡庸に実行すると、どえらい間違いをすることになるなあと読みながら改めて思った。二重にも三重にも俯瞰し、自分を見つめて捉えている上での話だな。

危険な道とは、結局のところ自分にとって最も都合よく甘い道だという場合が多いと思う。人は、認められたい、好かれたい、必要とされたいという自己承認や存在価値や存在意義などを社会や他人に求める。でもそれは、満たされないことの方が多い。なぜか。「他に」求めるからだろうな 。それらを自分に向けることが出来たなら、全てが解消されるはずだ。自分の進化次第という結論によって。

つまりそれは、冷静に客観的に自分を見据えることの恐怖に勝てない、自分でせねばならない努力を他におしつけている、現実と理想のギャップに傷つく勇気もない、ということかもしれない。完全に他にも自分にも甘えているということだ。それら全てに打ち勝ってなお挑む人。漫画榎本俊二「ムーたち」の中に出てくるようなサード自分や、フォース自分を持つ人だけが、真っ当に「危険な道を選ぶ」ことができる人なのかもしれない。

自分を疑うことや判断することや叱責することをして、落ち込むような憐憫という甘さを自分に与えるようでは、「危険な道」などわからないのかも。

私の恩師が以前、「鋭くとことん自分を批判しなさい」と言っていて、鈍い私はそれを頭でしか捉えられず、ピンとこなかったのだけれども、ようやく今になってこういうことかもなと、思い至った。

なんだか最近とても自分の頑なさが目につく。斜に構える部分があって、それが発動する時の自分のシステムがまだよくわからない。何かスイッチだか経路があるんだよなー。そして集中力も無い。こうして日記を書いていても色々ズレがある気がするのだけれども、それを追及する根気が無い。立て直しが必要なのか、破壊が必要なのかもわからない。今の私はとても曖昧だ。

お腹すいたけれど、目の前には激甘マーライオンチョコレートと激苦エチオピアコーヒー。帰る気にもなれないので、空腹は忘れることにしよう。

今まさに新月真っ最中。最近密かに祈っていることがある。それが叶いますように。

2018.5.9

千駄木やきとり、図書館で絵本トーク、キトキト誕生日花見、七福神巡り、イケイケ若手美術家談議、スピカの耳垢、くるりライブ、HelloArtMACHI2018、強力ブロック、小沢健二ライブ、毛麻レモンシフォンケーキ、別府になりたいアベリアさん、地元の友人Mの選択 。

先月は今までに無く忙しかった。泡吹きそうだったけれども、どれも一応仕上げたのでちょっと自信を持つことが出来た。能力とか完成度とかいうことではなく、算段が合っていたという点において。

日帰り大阪行きを決行した深夜バス車中にて。バスの振動が熊の唸り声と化し、顔から喰われるという悪夢にうなされ、皆が寝静まったバスの中で「あわわああっ」という絶叫と同時に自分の声で目覚める。隣席のミッキーのブランケットに包まれた女の子の身体がビクッとなった。

私は奇怪な人や場面に遭遇することが多いと言われることがあるが、みんな言わないだけだと全く納得していなかった。しかし深夜バスで突然絶叫する女など奇怪な人でしかない。とふと思ったと同時に、軽く落胆したので、それ以上考えないことに。

くるりと小沢健二のライブ。とてもよかった。音楽も、構成も、言葉の量も、距離感も、信頼度も。

千円でも行くんじゃなかったと思うライブもあれば、1万円でも安いと思うライブがある。それは当然なのだけれども、その当然なことをきちんと考えている人は割に多くない気がする。

くるりは音楽に乗せるのがとても上手かった。こちらが乗ろうと思う前にもう乗せられている。自動エスカレーターみたいに。途中後半に差し掛かった時に、発売予定もない未収録の東京オリンピックをテーマにした歌詞無しの曲があり、それはとてもエキセントリックでリスキーでくるりの価値観がギンギンにわかる楽曲だった。それをビッグウェーブの時にぶち込んできたのを見て、私は一客として何だかすごく嬉しくて泣けた。

岸田さんは他に対する期待値を意識的に低くしている人だと思う。だからこそ丹念に丁寧に謙虚に音楽と向き合い、聴き手の感性だけに頼らない気がする。そんな岸田さんが、あんな音楽を我々に全開で投げて来た時に、岸田さんの予想以上の聴き手への信頼を勝手に感じてしまい感動した。

琥珀色の街、上海蟹の朝も大好きな曲なので、生の「路地裏のニャンコー」を聴けてよかった。始終鼻水垂らしながら狂喜乱舞。

そして今週行った武道館初オザケンライブも最高だった。私はかっこいいベースラインが好き。生のオザケンの音楽は力強くも柔らかな男っぽさがあり、くるり同様明るい全開さを持っていた。オザケンライブも嗚咽鼻水ライブ。

昨日別府のあべりあさんのトークに。愛だとか笑顔だとか普通なら気恥ずかしくて使えない言葉が、真っ当に感じた。そう感じたのはマイケル・ジャクソン以来。本気で使っている人の言葉は水のよう。

最近また夢日記をつけ始める。私には潜在意識の強力なブロックがあり、どうしたものかと長年思ってきたのだけれども、最近細部が明確になったのと同時に外れかけているような流れが夢の中で垣間見えるので、嬉しい。飼い猫スピカにもそれがあり、まあ原因を私は知っているがスピカも外れかけている様で、お互いややこしさから脱却できるかもねーなどと世間話風にしてみたり。

それにしても今日は寒い。

今夜こそ猫らとの湯たんぽ争奪戦に勝つぞと策を練りながら鎌倉からの帰路へ。

2018.3.14

東京大雪、福岡スピリチュアル風味の会、ナツメ書店蔦屋書店六本松絵本屋かのこタピエス絵本委託、吹雪の中の佐田京石、オーラソーマ、「ひらがなえほん原画展」と「赤いターン」展、大分宇佐市大雪、スタッドレスタイヤを知らなかった両親、GALLERY SAGEでグループ展参加、甥っ子の父親=だるまという認識について、かわいいドイツ人の義妹、ミランダ・シュラーズさん講演会、ハハとアート三昧、堀川 すなお「バナナ」、東京アートフェア、お見合いでゲロを吐いた知人。

 

気づけば3月も半ば。

正月インフルエンザA型にかかり、先月はインフルエンザB型にかかるというアホ丸出しのような事態のため展示に来てくれたのに会えなかった人、ごめんなさい。そしてありがとう。絵本も本当にたくさんの人が購入してくれて、嬉しくて言葉がない。ありがとう。ありがとう。

 

福岡の貴婦人Sさんの計らいで、色々な面白いスピリチュアルな人々と再会。

「あなたコアラの着ぐるみ着たライオンだよ」と本性を突かれる。もうコアラっぽくユーカリはみはみしている場合でないよなあと納得して決心する。そうなんです。私は一見鈍臭いピースフルな草食動物に見えるかもしれないが、実は気性が激しく爪も牙もあり、稀に俊敏な時もある肉食動物なのであります。爪と牙を上手く隠したつもりでも自分が気づかぬうちに他を傷つけているし、ガオっと来るかもくらいの猛獣感を出していこうと思う。私はとても上手くコアラを着こなしてしまっているそうだ。とは言え、コアラの着ぐるみにはだいぶ助けられた。ありがとうコアラの着ぐるみ。成仏してくれ。

 

アサクサギャラリーで現代美術家アントン・ヴィドクル による思想家ニコライ・フョードロフと物理学者レフ・テレミンの不死思想についてのトークがあり、大変面白かった。特に私が興味関心を持ったのは、そもそもなぜ不老不死が必要かという問いに対する答えであった。

それは芸術家のためなのだそうだ。この宇宙は殆どが無機質なものでできている。例えばテーブルや、例えば石に「意識」を持たせることで無機質が有機質となる。宇宙を有機質で満たすと、宇宙は変わる。それは芸術家の仕事で膨大な時間と労力がかかるため不老不死である必要があるのだという。さらりと話しただけなのでまだ深部は全然わからないが、何だか面白そうなのでフョードロフの本は読んでみようと思う。

 

ミロコマチコ展へ。描くことを本気の遊びにしているのがすごく感動的だった。子供の時は確かに本気で遊んでいた。目的が「面白く遊ぶ」ことだったからだ。本当に面白く遊ぶには観察、反復、集中、想像、行動、それらが全てないと出来ないと思う。

私はまだ別の目的のための手段として描いているなと思った。それは描くということに対して甘いからだ。目的となるくらい、描くということに埋没しなければだめだ。私などせめて自己投入しなければ全く何にも敵わない。コアラ化して距離感図っている場合か。しつこい。けどちょっとツボだったんです、私には。ユーカリはんでましたわ〜!という。

 

実は今ここに別の話を記述していたのだけれども、これは載せるべきかと思っていたら、突然キーボードに猫が乗ってきた。そして猫がその部分だけきれいに削除していたので、載せないことにする。もしかしたら不意に出していた爪を、猫が上手く爪切りで切ってくれたのかもしれない。などと「全て必然です」みたいなのも気色悪いので、単に消えたのでそのままにしておくことにする。

 

2018.1.21

星の物語製作所展、安藤忠雄展、クリスマス会でプレゼント交換(江口洋介風Oちゃんの絵と靴下)、猛者たちとの高級豆乳鍋、鎌仲ひとみ監督の話、息子猫里帰り、インフルエンザ、遅い初詣で凶、ステンカラーコート、f.houseでマッサージとルーシーダットン、巨大パーティールームで二人カラオケ、高級かまぼこ新年会、珍奇なドライブ、18歳ドイツ人の義妹、大人の恋愛事情、預言カフェ、スピカ泡吹き、おろちのピアス運び癖、雪。

先月行った安藤忠雄展が、とても面白かった。膨大な展示の中で最も関心をひかれたのは、住居建築であった。人は普通住居にリラックス、快適さを求めると思う。彼の住居はそれを否定しているように見えて実は、リラックスや快適という感性のクオリティーが高すぎて、一般人がそう感じられないだけなのだ。安藤忠雄が提案する家に身を沿って生活したら、人間の佇まいや纏う雰囲気も変わりそうだ。いつか自分の家を持つなら、自分を正さざるを得ないくらいの頑固な家に住んでみたい。私のような自律が苦手な怠け者にはいいかもしれない。

正月はインフルエンザで寝込んでいたため、正月気分を全く味わえずに2018年に突入。4日間殆ど食べずひたすら高熱で寝ていたら、体重も3kg減り無駄な食欲も無くなり肌艶が良くなってかつ、四十肩らしきものが無くなっていた。強烈な毒出しだったようだ。年末に行った葉山のマッサージがどうもスイッチになったような気がする。

一昨日、飼い猫スピカ♂が泡を吹いてヨダレを垂らしていたので、朝イチで近所の動物病院へ。結局異常は見つからなかったが、点滴や吐き気止めなどの投薬を勧められた。症状だけ抑えても、私が安心なだけである。悪いなら表面化する方がいい。見たところスピカも「気持ち悪いですわ〜」くらいで悶え苦しんでいるわけではない。この際気持ち悪さは我慢していただいて、獣医師に相談した後全部断る。とりあえず大量の新鮮な猫草を準備して経過観察することに。

ちなみに彼は今現在、発情している。生物は生命存続が危ぶまれた時に種だけは残そうと発情するというけれども、多分彼の場合はそういうことではない。スピカはもともと辻褄の合わない猫なのであまり気にしないことにする。

ステンカラーコートをネット購入し、先方の手違いで返品。それが二度も続く。とても欲しいコートだったが、気が失せる。去年はそういうことが多発した。全て金銭的な損はしていないのだけれども、時間的な損が甚だしい。「損をしたくない」という我欲が働きやすくなっているなと思っていたのだけれども、その現実化表現かもしれない。あかんな。(関西出身の友人Aさんの言い方が思い浮かんだので)

今雪が降っている。こんなに寒いのに朝珍しくやる気が出て仕事に精を出すも、今はやる気もすっかり失せて雪を眺めながら熱いコーヒーをすすりつつこうして日記をつけている。久しぶりにナンバーガールなど聴いていたのだけれども、どうにも肩が立ち上がってくるのでmice paradeに変えた。

もう少しコンスタントに日記をつけたい。

時間が経ちすぎると物事の芯を覆う気配や、感触のようなことが失われてしまう。例えば今日のこの深々と冷えた部屋の中で冷えた指先を温めるためにも、コーヒーを飲むリズムは有効なこととか。雪は時間を伸ばす作用があるような気がするようなこととか。そういうことに彩りを感じるような常態でいたいと思う。

2017.12.1

「ドット・マトリックス」、古書ほうろうに絵本納品、BOOKTRUCK三田さんトーク、前田ビバリー出版記念パーティー、宝石の国9巻、妙齢女会、ハリケーンの女、携帯乗り換え、SW夫妻+ワン主催の宴、裏テーマ「交換」、F9のキュートママ、無意識の残酷な優先順位、期待に応えないという選択。

展示も残すところあと2日。自分にとってとても充実した展示となった。

当たり前のことだが、毎回必ず展示中に様々な欠点や反省点や可能性を見つるける。最終日に近づくにつれ達成感を損なうこと必至である。

今回はこのスペースの目的がワンダーウォール(作家にとって発見と成長が生まれるための展示)という店主の意向があり、それを思いっきり利用させていただいた。展示してやっと客観的になれるので、描いたらその都度展示して試せるのはとてもいい。すぐ判断できるのですぐ次にいける。つまりとても効率的だ。忙しなく動く展示を店主方も楽しんでくれたので、安心してその深い懐にダイブしてしまった。店の看板犬は毎日来る私に段々飽きていき、遂に帰る時に全く反応しなくなった。どうでも良い存在になるというのは時には心地いい。

感情についての考察。感情は反応なので「感情的になるな」というのは酷な話だ。それは「無反応でいろ」ということになってしまう。反応はいいが表現するのはどうか、という大人の意見もあろうが、上手く表現のコントロールすることが出来ればよいのだけれども、下手にやると感情を抑圧することになってしまう。そうすると今度は抑圧された感情の行き場がなくなり、溜まって澱んでしまう。要するに重要なのは「上手く感情的でいること」なんじゃないか。「下手に感情的でないこと」は弊害がありすぎる。特殊な場面以外、大体の場合はこれでいいんじゃないかと思っている。

反応を不必要にする、つまり原因を過去にするには全面許容の「感謝」だな。逆に言えば「感謝」出来たら過去になったという証かもしれない。

携帯乗り換えに相当な時間と労力を使った。バカみたいにしつこく調べたり聞いたりして、「損をしたくない」というがめつい執念に自分でも呆れるが、結果心おきなく新しい携帯システムを使えている。今のところではあるけれども。

最近雄猫スピカの珍求愛が激しい。就寝中の私の頬に一心不乱に尻をつけて来る。他人が聞いたら微笑ましい仲良しエピソードであろうが、クサッと目覚めるのはかなり嫌なものである。やめてほしい。なんで尻で、なんで頬なんだ。

もうすぐ満月。

久しぶりに神託カード引いたら、「どっちでもいいからさっさと決めろ」というお達し。

そう、「正しさ」などどうでもよい時がある。

明日は展示会場で友人にもらった満月色のルレクチェ(知らない人は最新のMetro min.参照)を食べよう。

2017.11.7

満島ひかり舞台「羅生門」、河瀬直美監督「光」、鎌仲ひとみ監督エネルギー講座、センチメンタル、女の質、鈍感さについて、ボブという名の猫、怒りと笑い(感情の反動)、破綻、feel9&きんじ、先輩らとオールナイト、敏腕美容師による弾けたヘアカラー、酉の市、お金がない。

久しぶりの日記。書きたいことは色々あったけれども、PC状況がよろしくなくできなかった。そうこうしている間にあらゆることが流れ忘れていく。9月に下書きしていた日記から始まるので少し今とはズレがあるが、まあよい。

9月に河瀬直美監督の新作「光」を鑑賞。よかった。

恋愛とは、「交換」なのかもと思った。臨場的な気持ちの交換、相手と自分の皮膚や温度の感覚の交換、体液の交換、抱える思いだとか喜びだとか痛みの交換。ある人との出会いをきっかけに夏中何となくずっと意識していた「独占」について、ちょっと答えの糸口になるような気が。独占か。そうかもしれない。

夏は完全に終わり、秋を過ぎて冬に入る。

夏の気温と湿気で空中に漂っていた輪郭が定まらない、とりとめのない気持ちだったり物事だったりが、秋になって少しずつ形と色を持って降りてくるように染みていく。きっと夏までのことがはっきりするのだろう。でも今はあまり予測しないでおこう。私の場合、予想は限定を伴う。

最近テレビで観た興味深い生命学者の話。

動的平衡における生命活動とは、破壊と創造の同時進行でなければ前に進まない車輪のようなものなのだそうだ。そしてほんの少し破壊の方が多いため輪の規模が少しずつ小さくなり、生命は死に向かう。そして動的平衡における病気とは、破壊より創造の方が少し多くなった状態のことをいう。つまり、創造よりも破壊が少し多い状態が「正常状態」ということになる。なんとなく逆のイメージだったが、とても得心した。精神論ではよく語られる話ではあるが、別分野の観点からも同じことが言えるというのはとても納得できる。こういう時に微かに真理のようなものを感じる。滅することに向かうのが正常。うーむ、これは結構大事なことな気がする。

なぜそんなにも上記の話に関心を持ったかと言うと、最近のキーワードが「アイデンティティの破綻」であるからだ。これは恩師が勧めてくれた吉福さん著「世界の中にありがなら世界に属さない」の受け入りである。私は昔から取り繕ってしまう癖があって、それがなかなか抜けない。丸く納めるとかまとめるとか、そういう本質的でないことをよくしてしまう。これは一見いいように捉えられるし、まあ必要な時もあるのだけれども、結構厄介な癖である。つまり私は「破壊すること」がとても苦手だ。上記の話を参考にするならば、これはちょっと問題だ。

昨夜は友人らと浅草酉の市へ。祭は好きだ。通常みんな人混みは嫌だろうし私もそうだが、それは何故かというと多分、触れたら微かにでも感化されるからだと思う。電車のラッシュや街中などでは、様々な人々が様々な心理状態でいるので、開いていると知らぬ間に感化されていてとても疲れるのだ。でも祭では皆多少わくわくしているから閉じる必要もあまりない。「触れる」ということは結構大事だと思う。一緒にいた3人全員おみくじが凶だった。

噛み合わないのが連鎖する時がたまにあるけれども、それは無意識な拒絶な場合もある気がする。悲しいけれども、仕方ない。意識的には関わらない方がお互いのためだ。

今、近くのカフェでこの日記をつけている。今までは何時間もコーヒー一杯で居座っていたのだけれども、インターネットが家にない私は、頻繁に通うため当然顔を覚えられてしまった。そのためたった今注文したチョコレートケーキの生クリームが完全に溶けて、意味を成していないことに物申したい気持ちを抱きつつも、生クリームが仇となったチョコレートケーキを黙って食べる羽目に。また出たよ。取り繕う癖が。大したことではないけれども。

去年と同様簡易炬燵を設置したので、飼い猫どもは全く私に構わなくなった。逆にこちらは、寒くなりただでさえ温もりが恋しい。冬毛になった猫らはそれを満たすのに最適なので、強引にスキンシップすると、猫の嫌気が伝わってきて先ほどの話ではないが感化される。しかし猫に関してはそれも想定内だし許容しているので、何ということはない。嫌がる猫らの腹に顔を埋める日々。
ここしばらく怠けていたので、困窮していることに気づく。働こう。新たな展示も決まったし、来年の予定も色々決まりつつある。怠け期間終了です。という宣言をしなければ腹が決まらない39歳の立冬。

2017.9.16

 

ひらがなえほん原画展(東京)、前日。

実はこの絵本が出来るにあたって、不思議なエピソードがある。

本当はこの話はあまりするつもりはなかったのだけれども、何故かすんなり話してしまったSW11 kitchin+RのYさんとTさんにぜひ日記にと言われ、何となく素直にそうだなと思ったし、私の記憶はすぐさま砂漠の蜃気楼のようなものに成り果てるので、そうなる前に記しておくことにした。

 

遡ること4年前。当時の私は厄年の身であった。

その年は奇妙な出来事に遭遇したり、不吉なものを見たりすることが多く、なるほど厄年だなあと思っていた。妹にはそれぐらいのことで、と言われたのだけれども、私は割と真面目に思っていた。自分ではどうしようもない不可抗力な出来事というものがあるが、その質がそれまでとは全く変わったからである。

 

ある日の朝、私が阪急梅田駅で電車を降りた後、何気無くプラットホームの上を見上げたら向こうから一羽のカラスが飛んで来る。よく見ると鳩をくわえている。

ああまただよ。厄現象だよ。カラスが鳩を狩る光景も、もう2度目だ。そんなことを思いながら見上げている私の頭上を、カラスは鳩をくわえたまま飛んでゆく。私は黙って見つめていた。

鳩がちょっともがいたように見えて、あ、と思った直後に、

鳩が落ちて来た。

私は思わずそれを受け止めた。

一瞬の出来事であった。

数秒呆然とした後手の中を見ると、まだ産毛が残る子鳩である。温かい。生きている。首から血を流している。

さて、どうしたものか。この後夕方まで百貨店に居なければならない。百貨店がこの子鳩を持ち込むことを了承するとは思えぬ。悩んだ末に駅員らに相談したところ、野生動物なので駅で保護するわけにはいかぬとのこと。そこを無理に頼みこんで、私が仕事を終えて必ず引き取りに来ること、死んでも責任は負わないことを条件に、夕方まで駅で預かってくれることになった。

 

持っていた上着を小さな段ボールに敷いて、その中に子鳩を入れる。

心の中で「生きろ」と念じた私の目を、子鳩は真っ直ぐに見返した。

それを見てどこかで小さく確信して、子鳩を駅員に託す。

 

夕方駅に戻って受け取った子鳩は、まだ生きていた。けれどもこのままではやがて絶命する。百貨店で二人展をしている相方久野安依子さんは野良猫などをよく保護したりしていると聞いたことを、ふと思い出す。ひとまず彼女に相談しよう。電話をかけると、親身になってくれた彼女が、ある人を紹介してくれた。都会で傷ついた野良猫や野鳥などの動物を世話しているという。早速その方に電話で事情を話すと、直ぐさま駆けつけてくださり、車で一緒に病院まで連れて行ってくれた。

 

病院での処置が済み、あとは自宅観察ということになった。

私はまた考えた。うちには野良上がりの猫が2匹居る。傷ついたかよわい子鳩に対する情愛などは期待できぬ。そればかりか、きっと一心不乱に全力で狩ろうとするに決まっている。飼い主の私が情に訴えて涙ながらに説得したとて、涙を拭っている間に子鳩に飛びかかるであろう。カラスの飯の代わりに猫の飯になること必至である。

 

黙って考え込む私に、その方は自分が面倒を見る事を申し出てくださった。私が治療費と養育費を出すというと、それも退けられる。その潔さと責任感に感謝と恐縮を感じつつも、他にいい案が浮かばないのでお言葉に甘えることにした。

 

それから4年。だいちゃんと名付けられたその子鳩は、その後立派な鳩に成長し、つがいとなり、なんと子鳩も生まれる。そうして今年までその飼い鳩生を全うしたのである。

 

育ててくださった恩人石川さんから、だいちゃんの逝去の知らせ。深く御礼を伝えた後に近々大阪に行く旨を伝えたら、そこに直接来てくださった。たまたま私の絵の展示中で、その私の絵を見て気に入ってその後に何点か購入してくださった。

 

そしてここでようやく、話の収束に向かう。

今回のひらがなえほんは、その方からの依頼なのである。

都会の野生動物保護の資金源として親子が楽しめる文字の絵本を作ってくれないかという。

 

まさかあの時の出来事が、こんな風に新しい扉を開くことになるとは思わなかった。縁とは全く不思議なものである。そのきっかけは、本当にちょっとした選択なのだ。だいちゃんもどえらい縁を運んでくれたものである。

 

こういうことが発生の源となった絵本制作であるため、全力で取り組まねばならない。いや、思わずかっこいい風に言ってしまったのだけれども、実のところ若い頃絵本に挑戦して自分の実力の無さを痛感して挫折したことがあり、以来絵本は私には無理だと常々思っていたため、全力で立ち向かったとしても撃沈するかもしれぬ。けれどもこれはもう、やるしかない。少ない脳みそを恨みつつ、画力の無さにうちひしがれながらも、それでも兎に角全力でやった。

 

実はここ1年ほど図書館のデザインの仕事をしたり、子どもたちに教えたりしていたので、今思えば絵本を作るに相応しい環境と流れになっていたような気がする。これらも私の実力や幸運などではなく、人の厚意が運んで来た縁だ。有難いことこの上ない。

 

 

私の仕事をひたすら信じてくれた恩人であり企画プロデューサーである石川さん、デザインを担当し、気持ちよく世界に流通させるために出版社まで立ち上げてくれたranbuの代表である妹に、心からの感謝を。

 

 

以上、ひらがなえほんの成り立ちのお話。

野生動物保護の支援に成る絵本となりますように。また、苦しい厄年を味わっている30代女子らの気休めになりますように。

 お終い。