2015.1.9

前回の日記からかなり空いてしまった。今年の年末年始は帰省せずに猫らと過ごす。簡単に御節と雑煮を作って3日あたりまで食べる。我が家の雑煮は焼いたスルメと鰹節と昆布と干し椎茸と鶏肉で出汁をしこたま取り、大根、人参、牛蒡、蒲鉾を入れて味付けは基本的に塩のみという大分の宇佐地方独自の雑煮である。私はこの雑煮が大好物である。子供の頃から雑煮と数の子が、お年玉と同等ほどに楽しみであった。それを知っている母より数の子が届く。一気に御節のレベルが上がったような雰囲気に。

新年を迎え、秋からかかっていた靄が何となく晴れたような。印象的な初夢は見ず。

話は今日に飛ぶ。地元から来た友人と浅草でタイ料理を食す。

帰りの電車の中で私と同年代であろう男女。酔った風の女性がしきりに男性に甘えて誘っている模様。深夜の都心部から離れる静かな電車で、彼女の甘えた声が際立つ。下衆い興味本位で耳をそばだてて行く末を見る。男性が先に私と同じ駅で下車。閉まる扉から見えた彼女の目で、酔っていない事が分かった。多分男性にも分かっただろう。けれど一瞬彼女が放った強い思いには、気づかなかったような気がする。女には、たまにこういう風に言葉に出来ぬ念と祈りの中間のような思いを封じ込めて、その場の空気に乗せて相手に届けようとする時があると思う。それを上手く受けて中を開けて見る男性は、相性とかタイミングとかによって、多くはない気がする。

明日は友人の結婚式で、新月だ。両脇には猫らが私で暖をとっている。結果的に私も暖かい。こういう事が、私は好きだ。気持ち良さそうな猫を見て眠気が生じたため日記を終える。

2015.12.23

絶不調の一週間であった。
風邪と腹痛により寝込む。自律神経をやられ、頭痛による不眠。加えてここ数日の寒さで猫どもが暖を取る目的で私の上で寝るため肩凝りと腰痛。ホットカーペットをつけて猫を誘導するも、発熱している私の方が暖になると踏んだようで、全くそちらで寝てくれない。冬至だというのに連日蚊に刺されてさらに眠れず。蚊を見つけて叩いた後に、不意に罪悪感。今更血一滴が何だというのだ。こういう風に心身共に不健康であった。

3日目にこれは長引くとまずいと思い、まずは自律神経を整えるため、不眠のまま朝歩いて近くのカフェに。一日中何かと身体を動かし、2時間風呂。ようやく自律神経が整って頭痛や肩凝りは軽減。テレビはより頭痛が酷くなるので、音楽のみに。
気づけばクリスマスシーズン。私はクリスマスに関心が薄い。特別な事をする気に全くならない。何故か。他人の誕生日であるからだと思い当たる。あ、誕生日なの?へーおめでとう。という事に過ぎない。

師走は好きだ。今年を締めて、新年へ向かう。明日はクリスマス。大掃除しよう。チキンやケーキより韓国料理とかベトナム料理とか食べたい。生春巻きとかいいね。チリソースとかね。

バカバカしい思考になってきたので日記を終わる。

2015.12.11

まずお知らせとして前回の日記の続きを。危うかったけれども、結局友人宅まではたどり着きました。

深夜から早朝まで大雨。朝出かけることにしていたのだけれども、布団の中で中止だな‥と思いながら惰眠。いきなり雨が止み、ふわあっと明るくなる。窓を開けると強引に湿気が入って来て、鏡やガラスが曇った。空を見上げると厚い雲がどんどん流れて空が明るく広がっている。こういう時は虹が出るので急いで支度をして外出。虹は見なかった。外出ついでに久しぶりに西新井大師へ。

妹から電話。働きながら家庭を持つ女性は何かと責められるようだ。私は基本的にグータラであるし1人と2匹の気ままな生活なので彼女の困難は聞いてあげるしか出来ないのだけれども、懸命に努力している人を責める理由はやはり責める側の問題でしかないよなと思う。私は努力至上主義ではないが、それでもまずは己の力で自分の目標を形にしようとしている人は見ていて清々しい。

しかし、最近の天気は変だ。ここ数年自分を安定させることが難しいのはその気候の不安定さもあるのではと思ったりする。私は元来情緒不安定気味であるし、そんな自分の感情にぶんぶんに振り回されやすいので、安定がテーマの1つでもある。

2015.12.3

ドイツから実家の大分へ。1年ぶりの墓掃除と墓参り。胸のつかえが取れた。何となくスッキリするので昔から墓掃除は好きだ。その後、慣れ親しんだ宇佐神宮へ参拝。空気が半端なく清涼であるため、ここも実家に帰ると必ず訪れる。

大分に3日間滞在。友人と会ったり大叔母に会ったり、実家の諸々の修理をしたり。毎日温泉に入る。市川春子の新刊を見つけて購入。この人の漫画は光と影の透明感がとても好きだ。

福岡で恩師と友人に会って色々タイムリーな話をしたり、奇跡的瞬間に立ち会ったりして福岡空港から発つ。飛行機が遅れて、今日中に帰宅出来ないことが判明。急遽友人宅に泊めてもらえないか連絡。しかし、今現在23時42分の段階で私はまだ成田からの高速バスの中にいるため、友人宅にすら行けない可能性が高い。そうなったら東京駅で一夜を過ごすことになる。いやだ。

という状況であるのだけれども、携帯の充電が危ういため日記もここで終わる。行方は次回へ続く。

2015.11.28

ドイツのニュルンベルクからの帰りの空港にて日記をつける。一週間分なので印象的な部分のみ抜粋。

13年ぶりにドイツに来たのだけれども、全く違和感が無い。言葉も思っていたより忘れてなかった。リラックスするのも早い。やはり生活をしていたという事は影響が大きい。

父の仕事のモーターメッセに着いて行って見学。技術とアイデアと熱意が結晶化した部品は、美しかった。真理と美は一体だと思う。曼荼羅とか幾何学とか数式とか経文とか。そういうものがあんなにも美しいのは、そこに真理があるからなんじゃないだろうかと、全く理解出来ない部品などを見ながら浅く考えていた。こういう普段全く関わらない分野は、思い込みが無く透明な眼差しで観るため、かえって参考になることがあるように思う。どんな分野にせよ、向かう一点は同じはずだからだ。そしてそれは、人間の幸福度の向上に他ならないと思う。

首切り役人の家Henkehousを探す。尋ねる度に、何であんなとこに行くんだ⁈と聞かれる。首切り場なら絶対行かないのだけれども、役人の家というところに興味があった。その人の生活を垣間見てみたかったのである。
まあ確かに、防寒で着膨れし、ドイツ人から見てかなり若く見えるであろうニヤニヤした顔つきの小柄な日本人の女が、一人で首切り役人の家を聞いていたら、不気味になるかバカなのかと心配になるかのどちらかであろう。しかしあんまり言われるのでさらに意気揚々と行ったが、休みであった。期待するとこうなることが多い。
新美術館。白黒のリヒターの作品がとてもいい。冴えていた。建築も素晴らしかった。ミュージアムショップもよい。この後3回行く。

世界人権宣言が29本の柱に刻まれた通り。天井があるような造りなのに、そこには敢えて何も無く空が広がっている。装飾が全く無いただのコンクリートの円柱にシンプルな文字だけが刻まれている。その潔さに、人権宣言に至るまでの膨大な時間と意思を感じた。今はもう立ち止まる人も少ないようだ。人権ということをもう一度考えなければならない時だと、ふと思った。

真面目風な旅の雰囲気を醸し出してしまったけれども、基本的には毎日ソーセージとビールで満腹になり一人でヘラヘラ街を歩いていただけである。今も羽田空港で炭酸水飲みつつおかきを食べながら日記を付けている。暇なのに人権のことなど、全く考えなかった。こういう風に人は平和ボケしてゆくのだな。実のところ、世界は全く平和ではないのだけれども。

東京は温い。耳が千切れるくらい寒かったドイツが既に懐かしい。何だか帰郷したような気分の旅であった。

2015.11.20

毎日なんやかやと作業があるため、それをひたすら進める。
17日にずっと友人宅に預けている飼猫どもに会いにゆく。想定内であったけれども、スピカに威嚇され、おろちは素直に甘えて来ない。予定より長くなってしまったため、不機嫌になっているのであろうか。

友人のタロッカ(タロットのようなもの)に猫の気持ちを聞いてみたら、どうやら私のことを忘れかけていたらしい。これは想定外であった。野良出身のせいか、私に執着心があまりない猫どもの自立心を私はよしよしと思っていたのだけれども、忘れるというのはあんまりである。

どちらにせよ来月まで会えぬので、テレパス的にラブを伝えることにする。スピカはキャッチ出来るような気配があるのだけれども、おろちに伝言してくれるような気遣いなどは皆無な猫であるため、おろちの心情が心配である。

猫どもの不在で、ひとつ発見があった。生活が荒れた。毎朝全ての窓を開けて冷たい空気を家中に通し、布団やクッションを陽の光に当てて、植物の手入れを丁寧にし、木のお盆で食事を運び、外出の予定が無くとも身なりを整え、洗濯物にラベンダーオイルをたらしていたのは、どうやら猫が居たからのようである。習慣になっていたこれらのことを、この10日間全くしなかった。これではイカンと、今日からやり始めたのではあるけれども。猫が私の生活に自律を与えていたのだ。猫が帰って来た暁には、このことを踏まえてより猫どもに感謝して暮らそうと心する。

今日は表参道で友人と夕食を共にし、明日はドイツに発つ。明後日と感違いしていたことに、密かに冷や汗を流しつつ日記を終える。

2015.11.16

手違いで前回の日記を消してしまった。何を書いたか定かではないけれども、思い出せる箇所についてはろくでもないので、消えてしまっても残念ではない。

昨日まで日暮里にてグループ展に参加。とてもいいことが沢山あった展示であった。私は来週ドイツに行くのだけれども、向こうでの滞在費に困窮していた。しかし今回は作品が丁度必要経費分売れた。何とも有難いことである。こうして手にしたお金は、ベストな使い方をしようと思う。だから私はやはりこういう収入の仕方がいいと思う。

パフォーマンスでストリッパーの女性。私のセクシュアリティーに、彼女の気高く身も心も捧げている事が大きな揺さぶりをかけてきた。私にとってとても重要な気がしてならない。前夜に私はセクシュアリティーのカードをひいている。具体的にイメージが湧いてきたが、思考になってしまった段階で止める。こういう確定出来ないことに思考が入ると、私の場合思い込みになる危険があるからである。

地下鉄の通路で、あ!と気づく。私は自分の方向性の中途半端さにとても苛立ちとコンプレックスを持っていたのだけれども、そこにもしかすると私のアイデンティティの源があるのではと、突然思った。そこに、突破口がある気がする。

8月生まれはあらゆる物事を複雑化しやすいらしい。別の日記でも書いたけれども、シンプルさが必要。

2015.11.8

久しぶりの日記。和歌山県真国貴志駅。たま駅長仕様の電車の中で日記を書く。三毛猫柄の座席。猫の形の照明。そして出発時にニャーンと鳴る。そこまでしておきながら、なぜか本棚は「ぽち文庫」。たま文庫でいいではないか。なぜここでぽちなのか。ジョークにも見えない。そんなもやもや感満載の私を乗せて、猫耳つけた電車は和歌山に向かう。

くるりの岸田さんの日記。如何にして具体的な意識を持つかが大切と。私には具体性があまりない。抽象的で曖昧だ。だから中途半端化しやすい。これは今年の下半期の課題である。

Facebookを使用しているのだけれども、つくづく奇妙なツールだと思う。一度しか会った事がない人の日常が、毎日報告される。Facebookをし始めてから、この場限りでよしとする人に好感を持つ事が増えたかもしれない。
初めて風水を見てもらったり、高校生らと話したり、イノシシの焼肉を食べたり、3億の借金話を聞いたりと非日常的な和歌山真国の旅であった。もうすぐ電車が着くので日記を終わる。

2015.10.28

久々の日記。来月から大阪と和歌山で展示するため、毎日終日作業。身体が凝り固まって辛い。

昨日夕方猫どもを預けに友人宅へ。その後、kuuさんと最後の打ち合わせ。終えて出たらジャスト満月。二人で眺める。疲れ果てて帰宅。引き続き作業。猫の食べ残しを廃棄するのも勿体無いため野良猫にと外に出る。また輝くような満月。雲に虹がかかっている。地面に腰を下ろしてしばし見つめる。

今日についての記述。朝から作業の締めと雑務。終えて掃除。入浴。高速バスに乗るために家を出たが、東京駅で迷い、バスが出る時間に着く。今まさに出発したバスを全力で止める。101回目のプロポーズのような場面になってしまった。あれは確か愛の告白のために、勇気を持って体当たりでバスを止める話である。
方や私の場合、バスに乗り遅れたらまた新しくチケットを購入しなければならず、そしてそれはおそらくかなりの割高になってしまうことが容易に推測できるため、周囲の目などものともせずに、全力でバスを止めたのであった。愛のための勇気とはまるで異なる、単なる我欲である。見苦しいことこの上ない。けれども乗れて良かった。

というわけで、そのバスの中で日記を書いている。深夜バスは安いという理由もあるのだけれども、みな寝ているし静かだし早朝着いて高層ビルの最上階にあるタリーズコーヒーでお茶をするのもなかなかよいので、割と利用する。
とはいえ、バスを止めるのに全てのエネルギーを使ってしまい疲れたので就寝。目が覚めたら大阪だ。

2015.10.18

来月コラボ展示するkuuさんが主催する茜染めの会へ。使わない白い麻ボトムや、白い手編みの靴下を持って行く。真っ盛りに赤い、紅葉のような色に染め上がる。物々交換で檸檬柄のお皿と、母親の手編みらしいライトグレーの毛糸の帽子をもらう。

夜、雌猫おろちが外出欲のため網戸を破壊。先月張り替えたばかりの網戸を破壊。張り替えに時間とお金をかなり費やしたのに、破壊。おぉぉろぉちぃぃと怒鳴ると一目散に逃走。とっ捕まえて、首を掴むとゴロゴロ喉を鳴らしている。

因みに猫の喉鳴らしは機嫌がよいということの他にも、相手への服従心の表れの場合もあるらしい。機嫌がよいとすれば変態であるし、服従心だとすれば全く信念が無い。どちらにしても、うすら寒い気持ちである。そんな私に首を掴まれながらも、目を閉じて喉鳴らしを続けている。

そんなこんなで疲れたので、今夜は早めに就寝。いい月であった。